冒険 & カヌーAdventure & Canoe
5 若い技能主事と教育相談員の提案
「校長先生、夏休みに生徒たちと一緒にカヌーを作りたいのですが、よろしいでしょうか。」
平成14年7月、私が着任して3か月ほどたったある日の昼下がり、
突然、校長室に二人の男性職員が入ってきてこう言った。一人は本市の教育センターに所属する40代男性の
カウンセラーの新田さん、もう一人は、本校の若い技能主事の島崎さんである。
「カヌー作りだって? この生徒指導の大変な状況の中で? 何のために? どうやって? 」
その申し出は、私にはまったく突拍子もないものに思えた。そのころ私は、毎日の生徒指導で心身ともに疲れ果てていた。
夜中に目が覚めては生徒指導の方策を考え、眠れない日が続いていた。
夏休みが近づいて、ようやく心と体を休ませることができると思っていたのに、そんな取り組みをしようだなんて、
とんでもないことを言い出す二人だ。疲れがどっと出る思いだった。
「インターネットで調べたのですが、ベニヤ板を切り抜いて組み立てるカナディアンカヌーの設計図が市販されているんです。
希望する男子生徒を集めて、夏休みに木工室を利用してみんなで作りたいんです。」
いぶかる私に対して、島崎さんは明るい声でそう説明した。5月に本校の技能主事が病気で長期入院をし、
その代理として派遣されてきた技能主事が島崎さんだった。
彼は、思春期の生徒たちの揺れる心情を理解することができる20代のおおらかな青年だった。
特に、勉強に気持ちが向かない一部の生徒たちを何とかしたいと真剣に考えていた。
教職員に対して強く反発する生徒たちも、廊下でモップをかけながらおだやかに話しかけてくる若い島崎さんには好感を抱いていた。
一か月前に、日本中がサッカーのワールドカップで盛り上がっていたとき、私は思い切って午後の授業をカットし、
体育館の大スクリーンを使って観戦することを決めた。
授業時数の削減や指導の困難さ等を理由として教員の一部からは猛烈な反対の声が上がり、実施が危ぶまれたときも、
島崎さんはポスターづくりからテレビアンテナの設置、プロジェクターのセッティングなどに大活躍をしてくれたのだった。
当日は大成功だった。教師と生徒が体育館で日本チームに大声援を送り、勝利の感激に酔いしれることができたのだった。
「この学校にはエネルギーを持てあましている生徒がたくさんいます。
問題行動の解決のためにも、生徒と教師が一緒に活動するカヌー作りの取り組みは大きな意義があるはずです。」
と、同行してきたカウンセラーの新田さんが言った。本校の生活指導で悪戦苦闘する日々は依然として続き、
教職員の真剣な取り組みにもかかわらず事態は悪くなる一方だった。
少し前には、授業中に廊下の掲示板から火の手が上がり、警察や消防車を呼ぶ騒ぎまで引き起こしていた。
そのような非行対策の手だての一つとして、市の教育委員会に依頼して、週2回本校に派遣してもらっていたのがカウンセラーの新田さんだった。
過去に少年院での教官の経験をもつ新田さんは、「問題行動を起こす少年の心に自制心を育てるためには、
単に甘やかすような共感的理解の姿勢で接するのではなく、大人が自信をもって壁となって彼らにブレーキをかけることが
大切なのだ。」という教育理念を持っていた。その考え方には私も心から共鳴していた。
二人の説明を聞いているうちに、私の迷いは消えていった。確かに二人の言うとおりだった。
本校の生徒たちと教職員の間には、目に見えない深い溝がある。この学校を改革するためには、
生徒と教職員がもっと熱く関わる校風を作らなければならない。
そのためには、教職員と生徒が一緒になって盛り上がれるような有意義なイベントをどんどん作るのがいいと、
私はずっと思っていた。カヌーだろうがなんだろうが、とにかく何かしら思い切った手を打たなければ本校の荒れは永遠にとどまることはないのだ。
しかし、現実的には様々なハードルがある。カヌーを作るというのは大変面白いアイディアだ。
だが、費用は? 労力は? そして何より、川で遊んだときにケガをしたりする危険性があるが、
誰がその責任をとるというのか?
「うーん」と一呼吸おいてから、私は二人に言った。
「わかった。おおいに結構だ。やろうじゃないか。まず私が学校だよりで全校生徒に参加を呼びかけよう。
だが、カヌーを作るだけでは面白くない。完成した暁には、山梨県まで出かけ、富士山のふもとでキャンプをやろう。
そして富士五湖の横断に挑戦しよう。エネルギーの余っている連中を徹底的にしごく、命をかけたサバイバルキャンプをやるんだ。
もちろん私も参加するよ。」と。
ダメと言われることを半ば覚悟していたらしい二人の顔がぱっと明るくなった。
島崎さんは、「さっそく明日までに具体的な企画書を作ってきます。」と声をはずませた。