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元校長お勧め100冊Recommendation

中学生には早過ぎる31冊
中学生にはまだチョイ早いが大人には面白い、
大人でなければ話が分からない!、などなど大人が楽しむ本を紹介したいと思います。
書籍名 著 者 コメントなど
020 菜根譚 洪応明 人間のより良い生き方の指針という意味では先に上げた「論語」も「葉隠」も優れた処世術の書であると言ってよいだろう。
ではそれらに匹敵するような、読む価値の高い処世術の本は他にないのかといえば実は沢山あるのだ。
17世紀の明の時代に中国で書かれたこの「菜根譚」はその代表格と言うべき大変優れた書物だと思う。
一言で説明すると「論語」から禅問答の要素を取り除いた「処世術」の本である。
国民が成人として認証されるための必読書とすべきなのはもしかしたら「論語」ではなくこちらの方がふさわしいかもしれない。
現代の世にリーダーとして活躍する人々の中には本書を座右に置く方が多いらしく、関連書が本屋に多数並んでいる。
ところで昨今「教育再生会議」で徳育の授業の強化を主張しているが、
国民みんなの課題をなんでもかんでも簡単に学校教育に委ねてしまおうとするのは国家衰退の前兆ではないか。
「責任者、前に出てこい。眼鏡を外して歯を食いしばれ。」と私は言いたい。
例えば家庭で親子で本書を通読することを義務づけた方が道徳教的成果ははるかに高いのではないか。
そしてついでに政治家や官僚になるための条件として本書の暗唱を義務づけるがよい。
そうしたら彼らの汚職や不祥事がぐんと減るのではないか。
021 人間交際術 クニッゲ 万人を納得させる処世術の書は何かと問われら本書を挙げるべきだろう。
200年にわたるドイツのベストセラーであるこの本は、夫婦、友達、異世代、女性、金持ち、貴族、
貧しい人々などの様々な相手や状況に応じて上手に交際していく方法を実に分かりやすく解説したものである。
読んでいると圧倒されるほどの説得力を感じる。
周囲の人々に心地よい思いをさせるためのそれらの礼儀作法の数々を身につければ、
どんな読者でも自分がたちまち万人に愛される人格者になれそうな気がしてくるはずだ。
ただしこの本からは「論語」や「葉隠」や「菜根譚」の底流にあるような
「哲学的倫理的美的人生観(なんだかよくわからないが)」は伝わってこない。
つまりこれは「マナー」の本であって「モラル」の本ではないのである。
しかし実用性に徹している分だけ即効性が高い。
例えば学校を卒業していざ社会人となったときに周囲の人々との付き合いに悩むようなことがあった場合は、
迷わず本屋に走って本書を買ってくるがよい。必ずや救いの書となることだろう。
もちろん中学生はこんな本を読んではならない。自分自身を飼い馴らして生きるにはまだまだ早過ぎるからだ。
022 ミカドの肖像 猪瀬 直樹 猪瀬直樹の業績は尊敬に値すると言えよう。
天文学的な額の国家予算を平然と無駄遣いしている官僚たちの実態を、
各種統計資料を根拠にして鋭く追究する姿は爽快である。
従来マスコミや評論家や経済学者たちが黙認してきた(気付かなかった?)官僚の愚行を
理詰めで批判する猪瀬の著述はまことに称賛に値すると思う。
非力な一国民としては遠くから喝采を送ることしかできないのだが、
今日のニュースによると東京都の副知事就任を要請されたとのこと、慶賀である。
東京都の財政の向上に大きく貢献してくれるのではないかと期待している。
本書はそのような著者の若き日の名著である。読者を啓蒙する力の有無が優れた著作の一条件であるならば、
この本は充分にそれを充たしている。
例えば、かつて野心に満ちた一人の大学生が、旧皇族の所有する土地を詐欺師のような手口で
次々と手に入れていく道筋を解き明かしたくだりは圧巻である。
彼はそうして手に入れた軽井沢の土地にホテルを建てた。そのホテルの名前は「プリンス」。経歴そのままである。
そうして財閥「西武」は繁栄の歴史を刻み始めたのだった。
読み終えて、若き創始者堤康二郎の天才的な頭脳と度胸に驚嘆するとともに、
西武ブランドに対しては否応なく嫌悪感を抱いてしまうのは私だけではあるまい。
日本人にとって近そうで遠い「天皇制」の一側面について目を開かされる一冊である。
023 人国記
(岩波文庫)
  室町時代のころに書かれた軍政学書。武田信玄が愛読していたと伝えられている。
感想を一言で言えば「言語道断だが痛快」である。
当時の66諸国の住人の気風を解説しているのだが、その決め付け方がすさまじい。
いくつか例を挙げると、常陸(ひたち:今の茨城県)の人間は強盗や辻切りをして捕まっても恥とは思わない。
相模(さがみ:今の神奈川県)の人間は栄える者になびき、8~9割は酒色を好む。
飛騨(ひだ:今の岐阜県北部)の人間の9割は広い日本でもこれ以上ないと思われる愚か者である。
下野(しもつけ:今の栃木県)の人間は腹黒く傍若無人で日ごろは辻切り、強盗のたぐいの仕事をしている。
美作(みまさか:今の岡山県東北部)の人間の9割は卑劣で欲張りで、
人から借りたものを返さないことを手柄のように思う。
というような偏見に満ちた悪口雑言に溢れた本なのである。
言語道断であると言いたいところだが、自分に関係のない土地の人間の悪口を聞くことは全く苦にはならないものだ。
友人たちと酒を酌み交わしながら、互いの出身地の該当ページを読み上げたら
一堂爆笑に包まれることは間違いない。(悪趣味だが。)
さて、この本が何故軍政学書なのかというと、諸国の風土や人間の実情を知った上で戦いに臨み、
支配下においたら人民をよき方向に改変していくための資料として書かれたのだ。
その著者の真剣な姿勢が貫かれた真面目な書物なのだがやっぱり可笑しい。
ページをめくるごとに笑わずにはいられないのである。
ところでこの本では、ある国だけが絶賛されているので、著者はその地方の出身だろうと推測されている。
そんなものだろうと思う。
024 福翁自伝
(岩波文庫)
福澤 諭吉 ある少年更正施設で徹底的に「偉人の伝記」を読ませて大きな成果を上げたと聞いたことがある。
さもあらん。「100の説教より1冊の伝記」である。「5回の道徳の授業より1冊の伝記」である。
ところでそれらの伝記の中から1冊だけ選べと言われたら私は断然「福翁自伝」を推す。
幕末の「激動の時代」に混乱状況の中、びくともせずに理性的判断を貫いて生き抜いた日本人だと思う。
もし彼が日本の歴史に存在していなかったら私たち日本人はもっと無知蒙昧度の高い社会を形成していたことだろう。
今、「微動の時代」にぬるま湯の中であたふたしているすべての日本人にお勧めしたい本である。
025 雨夜譚(あまよがたり)
(岩波文庫)
渋沢 栄一 今、自伝を2冊選べと言われたら、「福翁自伝」とともにこれを推薦する。
幕末の「激動の時代」にあって、渋沢栄一は農民であることに飽き足らず、
学問と武芸に励み、江戸に出て倒幕運動に加わった。
ところが奇異な運命で徳川御三卿の一つである一橋家に仕えると、たちまちのうちに才覚を発揮し、
ついには当主慶喜(後に15代将軍)の弟である昭武の相談役としてヨーロッパに随行する。
パリ万国博を初めとしてヨーロッパの先進的文化に触れ衝撃を受けた渋沢は、
明治維新後に帰国してからは銀行や株式会社など500を超える事業に携わり
日本の経済の発達のために計り知れない貢献を果たしたのだった。
一農民が武士の社会に飛び越んでその才能を発揮しながら
社会のトップに登り詰めていく過程は「太閤記」の秀吉を思い出させる痛快さがある。
しかし彼がすごいのは決して私利私欲のために生きたのではなかったということだ。
彼は、財閥を作って私服を肥やす人生を送らなかったことに誇りを持っている。
埼玉県の生地にある彼の記念館を訪ねると、録音テープで彼の生前の講演を聞くことができるが、
その中で「経済と道徳の合一」を説く彼の言葉に嘘はない。
彼は経済活動の傍ら、社会福祉事業にもエネルギーを注いだのだった。
偉人の伝記を読むと、彼らが「意志」「才能」「努力」「幸運」の4つのどれもに恵まれていたように
私たちは考えがちだが、それは間違っている。
実はそのどれもが私たちは生まれながらにして備えているのだ。
だが、うかうかとして見逃したり使わないで無駄にしているのが凡人なのだと言うべきだろう。
より良い生き方を模索するすべての若者に強く推薦したい一冊である。
026 西郷南州遺訓
(岩波文庫)
  西郷隆盛が生前語った言葉を集めた本である。
本書に述べられた西郷の人間観は完璧と思われるほど理想的なものであり、
実際にそれを貫いて「西南の役」で自刃して果てた彼の人間性の崇高さは感服の至りとしか言いようがない。
勝海舟を始めとして維新前後の同時代に活躍した偉人たちも一様に西郷を誉め讃えているところをみると、
偽りなく彼は卓越した人物だったのだろう。
「我が子孫に美田を残さず」は名言として人口に膾炙(かいしゃ)されたが、
これほど私利私欲から一切無縁であることを貫いた日本人は存在しないのではないか。
(「遺せない」から「遺さない」と言う人間は無数にいるだろうが)。
「例え寝屋での夫婦の会話でさえ、誰に聞かれようと恥じるところはない」と言い切る一点の曇りのない生き方は、
俗塵(ぞくじん)にまみれた私などは100回生まれ変わってもできないと思う。
027 斜陽日記 太田 静子 太宰治の「斜陽」は戦後の没落貴族の戦後の一情景を描いて大ベストセラーとなった。
しかし彼の代表作の一つとされるこの作品は、
ある若い女性が書き綴った日記をもとにして書かれたのであった。
その日記が本書である。二つを読み比べると、
小説に描かれた細部のエピソードは日記の文章をほぼそのまま使ったことがわかる。
現代社会のモラル意識を物差しにしたら許されないのではないだろうか。
だがその一方で、素人(とはいえ太田静子は小説家を志望していて太宰と出会ったのだが)
とプロの文章はかくも違うものかと感心させられる。
しかし私たちが関心をもつべきは、太宰がこの日記を入手したいきさつとその後の女性への扱いについてだろう。
太宰は日記を入手するために、伊豆で一人で暮らすこの女性をはるばる訪ね、そのまま5日間宿泊した。
やがて女性は太宰の子供を産む。しかし太宰は、日記を入手した後は、
数年後に他の女性と心中するまでただの一度もこの母と子に会おうとはしなかったのである。
生活に困窮していた静子は、太宰の死後に届けられた日記を出版したのだった。
うーん、絶句。
それにしても世の中には「斜陽」を絶賛し、中・高生に推薦する人が多いのは何故だろうか。
私なら「2冊セットで読んで文学とは何かを考えてみよう」と言いたい。
028 太宰治との愛と死のノート・・
雨の玉川心中とその真実・・
山崎 富栄 1948年6月13日の深夜、
妻子ある39歳の太宰は近くに住む28歳の独身女性とともに玉川上水に沈んだ。
山崎が太宰に出会ったのはその1年半前のことである。
太宰の得意の口説き文句「死ぬ気で恋愛してみないか。一緒に死のう。」
を信じた彼女は、太宰を神のように崇拝し、一緒に死ぬ日を夢みて自分の人生のすべてを捧げたのだった。
若くて、美人で、頭がよく、金持ちで(太宰が酒などに遣い果たしてしまったが)、
仕事場(自宅から500メートル)の真向かいで一人暮らす山崎は、
太宰にとっては理想的な都合のよい愛人であったはずだ。
本書には、一人の男を心の底から尊敬し、尽くし続ける女性の純粋な愛情があふれており、涙がこぼれるほどだ。
太宰がある女子大生と浮気をしていることをぬけぬけと告白したときでさえ、
「一緒に死ぬのはお前だよ。」という言葉にうなずくのだ。
(この辺は、浮気を咎められたときの光源氏の言い訳にそっくりである。)
劇団「こまつ座」で「人間合格」を発表した井上ひさしは、
「太宰は山崎の日記も小説のネタにしようと考えていたのではないか」という内容のことを述べている。
うーん、さもあらん。絶句。
結局太宰は39歳の若さで死に、自分の自伝的作品群に永遠の命を与えることに成功した。
同時に山崎はこの日記を遺すことにより、美しい純愛を貫いた人生を
(例えば私のような読者から)賛美されることになった。
古今東西、この類の恋愛は世の中に満ち満ちているのだろうなあ。
例えば「羽賀なにがし」に純愛を捧げて日記を遺しても誰も読まないだろうから、
山崎はずっと幸福だったと言うべきか。
029 ものがたり 北村 薫 恋愛小説の評価を出し合ったら人によって千差万別できりがないことだろう。
同じ小説を誰かが褒めても誰かがけなすだろう。
それは読者の人生(恋愛)経験の差異が作品の受け止め方の違いに直結するからだ。
だから恋愛小説は推薦しにくい。だがこのコーナーは、
誰もが自由気ままに本を推薦する場所だからあえて反論を覚悟して書くことにする。
このテーマ「恋愛」はシリーズでいきたいね。(私以外の人の登場を熱望する!)
まず一読して私がため息をつくほど感銘を受けた作品はこれだ。読み終えてすぐ3回読み返したほどだ。
短編集「水に眠る」の中の一つだがもっとも激しく胸を打たれた作品だ。
とにかく愛する方も愛される方も理性が情熱を押さえ込んでしまう。
その純粋で誠実な思いがしみじみと伝わってきて切なくなってしまうのだ。
さらに私は、二重構造のこの小説の巧みさに感心した。「死ぬまでにいつかは小説を書くぞ。
芥川賞の最年長記録を作るぞ」と、毎夜ひそかに爪を研いでいる私だが、どうあがいてもてもこんな傑作は書けないと思った。
この作品に共鳴した人だけで酒を酌み交わしたい。と思うほど心惹かれる作品なのだ。
さあ、これだけ褒め讃えたのだから、誰かすぐに読んで反論でもなんでもいいから何か書いてくれ。
030 二階 松本 清張 短編集「カルネアデスの船板」の中の一篇である。
結核で寝たきりの愛する夫のために、妻は付添看護婦を雇った。
夫は二階で療養し自分は階下で夫の代わりに印刷業を切り盛りしている。
だが付添看護婦が来た日から二階の雰囲気が微妙に変化した。
妻の自分が、看護婦のいる二階に上がるのを遠慮してしまうような・・・。緊迫感にあふれる展開。
夫に対する愛と猜疑の心理描写。衝撃的な結末。しみじみとした余韻。
これぞ上質の恋愛小説である。
やはり松本清張の力量はたいしたものだ。
031 リプレイ
(新潮文庫)
ケン・グリムウッド 生まれ変わって人生をやり直すことができたら・・・
そしてあの人ともう一度と巡り会いあの失敗を避けることができたら・・・。
多くの人間が一度は夢見る願望を描いたのだから、ワクワクするほど面白いのは当たり前だ。
だがこの小説は面白いだけにとどまらない。物語に込められた思想が実に深遠なのである。
刻一刻と近づく死は、すべての人間が生まれた瞬間から突き付けられている残酷な運命だ。
そこからの精神的な救済こそ宗教や哲学の存在理由だろう。
この作品のテーマは絶望する魂の救済である。
そして娯楽性と哲学性が質の高いレベルで融合された作品であると感じた。
私は一気に読み終えて感銘し、後日再読してまた感動を深めた。
私の生涯読書エンターテイメント部門のベスト3に入れたい。
こういう作品を書く人にこそノーベル文学賞をあげたいものだ。
中学生には早過ぎる31冊
№001~№009 №010~№019 №020~№031
元校長お勧め100冊
№001~№009 №010~№019 №020~№029
№030~№039 №040~№049 №050~№059
№060~№069 №070~№079 №080~№089
№090~№099 №100~№101