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元校長お勧め100冊Recommendation

中学生には早過ぎる31冊
中学生にはまだチョイ早いが大人には面白い、
大人でなければ話が分からない!、などなど大人が楽しむ本を紹介したいと思います。
書籍名 著 者 コメントなど
010 明暗 夏目 漱石 近代日本の偉大な知識人かつ啓蒙家と言えば福沢諭吉と夏目漱石の二人に留めをさす。
その知識の量と考察の深さは圧倒的に秀でている。
だから私は二人ともお札の肖像画に登場していることに心から賛同する。
数年前のことだが、漱石のお孫さんにあたる松岡陽子さんが来日したことがあった。
日本人なのに来日したというのは変な話だが、実は彼女は日本の大学を卒業したあと渡米して、
文学の研究を続けて学者となり、アメリカ人の学者と結婚し、
今でもオレゴン大学(だったかな)の名誉教授として日本文学を教えているという人物なのであった。
ひょんな縁でその方と親しく話をする機会を得た。
相当にお年を召されてはいるが、話の内容は明晰だった。
「漱石の作品では何が一番好きですか」と漱石マニアの私が尋ねると迷わず「行人ですね」と答えた。
私はなるほどと思った。
人間のエゴイズムを深く掘り下げた漱石の作品群の中では異彩を放っていたからだ。
何しろ「自分の妻と弟の関係を疑った兄が、真相を知るために妻と弟が宿に一泊する機会を作る」
などというスリリングな設定は他の作品には見られない過激さだ。
「行人」を読んだとき私は、芥川龍之介や森田草平などの俊英が
多数出入りしていたときの漱石の実体験でもあるのだろうか
などと下司の勘ぐりをしたほどだった(間違いない!)。さて本題である。
私は「明暗」が一番面白いと思う。作品そのものばかりではなく、
絶筆というところに大いに意味があるのだ。
物語がちょうど佳境に入ったところで漱石は
伊豆の療養地で胃潰瘍で死んでしまうのだ(49歳。若い!)。
読者は源氏物語と同じような欲求不満に陥る。
私は続きを自分で書こうと決意し、いろいろ構想を練っていた。
ところがある日本屋で「続明暗」を見つけたのである。もちろん筆者は漱石ではない。
私はすぐに買って読んだ。感銘した。納得した。うれしかった。
この感動的体験は本好きな者だけの特権ではないか。
011 名将言行録   戦国時代から江戸時代にかけて活躍した192人の武将たちの
英雄的な言葉や行動を集大成した偉大な著作である。
原典はそれぞれの家に遺された家伝書であるから脚色も創作も混じっているだろう。
それぞれの家に伝わる祖先の英雄物語集と言うべきか。
それにしても信玄や信長らの合理的・科学的な判断力や
勇気あふれる実行力が生き生きとした描かれており、
その生き方は大いに参考になる。
昨今、巷に溢れている処世術の本には本書を種本にしているものが少なくないそうだ。
だったら最初からこちらを読んだ方が手っ取り早い。
ただし江戸末期に編まれた本なので文体は当然文語である。
だから普通の中学生が読むには難しいだろう。
ところで私が一番興味深く読んだのは秀吉の「朝鮮出兵」の日本軍の奮闘ぶりを描いたくだりであった。
強大な明軍と闘う日本の武将たちの姿が鮮やかに浮かんできて、
戦いの天才秀吉の世界征服の野望が伝わってくる思いがした。
無謀な侵略戦争として日本史の中ではタブーに近い一端に触れて不思議な気分を味わったものだ。
岩波文庫で全8巻だが現在は絶版中である。 抄訳の現代語版が数社から出ている。
人生のどこかで手にとってみたい本だと思う。
ちなみに私は6巻の途中でよむことを中断している。
あまりにも面白いので読み終えるのがもったいなくなったからだ。
楽しみを後にとっておきたくなるような数少ない本の一つである。
012 1984年 ジョージ・オーウエル 「人類の平等と永遠の平和国家の建設」という美しい理想の名のもとに
革命を目指した若者たちが殺し合いを演じた時代があった。
わが日本の話である。
同様に美しい言葉で彩られた地獄の国家が地球上のあちこちで作られては自己崩壊した時代があった。
私を含めて当時の多くの人々は虚飾の理論の罠にはまっていたのだと思う。
それがつい昨日のことのように思い出される。
本書はその「ユートピア」が実は人間性を弾圧し抹殺する恐ろしい社会であることを
小説の形で暴露した本である。
これが書かれたのは1949年であり私が読んだのは1975年ごろだった。
ユートピアを本気で目指した若者たちが様々な挫折を繰り返しつつあったころだ。
同じ作家の「動物農場」も同一テーマの書であるが、
この2冊を読んだときの大きな衝撃を忘れることはできない。
戦争に関する本と同様に私たちはこのような本を読み継ぐ必要があると思う。
人類が同じ過ちを繰り返さないためにである
013 知られざる傑作 バルザック 読んでいるさなかに魂が揺さぶられるような感動を覚える本というのはざらにあるものではない。
これは多くの人々にとってそのような稀有な小説の一つではないだろうか。
何しろ絵画芸術の本質が何かということを見事に表現しきっているのだ。
美術をも超えてしまう言語の力にただただ驚嘆するばかりである。
フランス語で読めたらもっといいのだろうにとさえ思った。
私は絵を観るのは好きだが、展覧会にいくたびに芸術の本質がわからなくなりそうな作品にぶつかる。
特にモダンアートというやつがわからない。そういうときにこの小説を思い出すのである。
サマセット・モームは著書「世界の十大小説」の中でバルザックを
「偉大な天才作家」と褒めたたえた。同感である。
中学生には難しいだろうが、美術に関心のある生徒だったら理解できるかもしれない。
014 葉隠(はがくれ) 山本 常朝 武士道とは死ぬことと見つけたり」という言葉で有名なこの本は、
主君のために命を軽々と捨ててしまうような、
封建制度の権化とも言うべき危ない本ではないかと思われがちだ。
私も最初はそのような先入観を持っていた。
だが読んでみると、他人との上手な交際の仕方など
極めて良識的な処世術を述べた本だったので拍子抜けがした。
私が読んだのは社会人になってからであり、
日常的に「よりよい生き方とはどういうものか」などと考え詰めることも多かったので、
この本の主題ともいうべき「常に死を意識(覚悟)していれば悔いのない立派な生き方ができる」
という思想も十分納得ができた。
昨日松岡大臣が自殺したときに、石原慎太郎知事が「彼もまた侍だと思った。」
というコメントを出していたが、実は私も自殺のニュースを
聞いた瞬間「葉隠」を思い出していたのである。
大変危険な発想だという批判を受けるのを避けるために付け加えるが、
私は命を簡単に捨てるという行為には絶対に賛同しない。
し私が大臣の立場だったら辞任して竹林にこもる道を選ぶ。
だが一方で「自らの死をもって危機的な状況の解決を図る」という武士の文化が、
その善悪は別として確かに我が国の歴史には存在していたことを
知っておくことは無駄ではないと思う。
015 インディアスの破壊に
関する簡潔な報告
ラス・カサス 「インカ帝国などで知られる南アメリカのアンデス文明が
16世紀に突然消滅したのはなぜか?」
それはヨーロッパ人による身の毛がよだつような大虐殺が原因だった。
を書いたのだった。
この本を読むと、かつて私たちが学校で習った歴史観が
「勝者」側からのみ形成された不適切なものであることに気付く。
この本を読んだ人はその日から「コロンブスはアメリカ大陸を発見した」などと
簡単には言えなくなるだろう。
即ちコロンブスはすでに立派な文明が存在していたアメリカ大陸に
「到達した」にすぎないと言うのが正しいのだ。
また読者は、当時キリスト教の宣教師たちが侵略と虐殺の手先として
絶大な働きをしていた実態を知って、
宗教が人類に大きな不幸をもたらす側面があることに愕然とすることだろう。
つまりこの本は否応なく読者に歴史観と宗教観の二つについて再検討を迫る貴重な文献なのだ。
例えば私などは、徳川幕府がキリスト教を弾圧し、
鎖国に走ったという史実についても、一概に否定できないように思われてくる。
若いころ私は、社会科の同僚たちにもこの本を読むことを勧め、
教科書の記述の「アメリカ大陸発見」という概念を生徒たちに
与えないように忠告したものだったが、まったく反響はなかった。
自分が培ってきた認識を変革することは教員ならずとも難しいということだろうか。
ちなみに最近の歴史教科書からは「発見」の文字は消えている。
016 南京の真実 ジョン・ラーベ 虐殺と言えば「南京大虐殺」について書かねばなるまい。
これについては戦後60年間に渡って囂(かまびす)しい論争が続いてきたが、
未だに真相は不明である。これまで私もいろいろな本を読んできたが、
信頼できそうな本はなかなか見つからない。
だがどうやら本書だけはかなり信憑性がありそうだ。
なぜかと言えば、著者は事件当時に南京市内に居住し続け、
第三者の立場で見聞した一部始終を記録にとどめていた人物だからである。
彼はドイツの外交官という特権を活用して、
進攻してきた日本軍からの略奪や弾圧から市民を守るために尽力した英雄的行為で知られる。
本書では侵略側の日本軍の蛮行を批判し、安全区を作って民衆を救った状況が詳細に述べられている。
だから本書は「南京大虐殺」を強く批判する側の貴重な根拠資料とされているわけだ。
しかし私はこの本を読み終えて非常に大きな疑問が残った。
それは、本書が書かれた意図とは反対に、
この本は読者に対して「世間に言われているような大虐殺は実際は存在しなかった」
と思わせる力を持っているということである。
同盟国ドイツの外交官として大きな権限を持っていた彼は市内を
車で走りまわって日本軍や民衆の様子を視察しその様子を具体的に書いた。
しかしそこには、世に言われているような「大虐殺」の描写はない。
それどころか、街の中で不法行為を働こうとした兵隊を厳しく監督する
日本軍の憲兵隊の姿が印象的に描かれているほどである。
戦争であるから当然壮絶な殺しあいがあったことは間違いないだろうが
基本的な秩序は維持されていたように思えるのだ。
どう読んでも現在喧伝されているような大虐殺があった様子は読みとれないのである。
彼は当時25万人の市民がいたと書いており、彼がそれらの人々の命を救ったと称賛されているのである。
だから「30万人」が殺されたとする中国の主張はとうてい成立のしようがないのである。
それとも南京市内に住んでいた彼の知らない周辺地域で、
当時市内にいた人口以上の「30万人」が虐殺されたということがあったのだろうか。
そんなことが果たして有り得るのだろうか。
中国が主張する日本批判を疑わずにそのまま授業で教えている教員たちには
是非この本を読んで判断してほしいものだ。私たち日本人が、過去の過ちを潔く反省するためには、
より真実に近い認識を持つ必要がある。と同時に、世界に冠たる平和と
長寿の社会を維持している我が国(もちろんまだまだ改革の必要はあるが)に生きていることへの誇りを失わないためにも、
本書は現代日本人にとって必読と言うべきかも知れない。
017 賭博者 ドストエフスキー この偉大な作家に熱中したことがある。
高校から大学の間の一時期のことだ。中学生の時に「罪と罰」だけは読んではいたが、
ある日突然、熱病のようにとりつかれて当時翻訳されていた全小説を読み通したのであった。
物語の中で延々と語られる登場人物の心情や人間観を、当時の私がどこまで理解し得たのか、
今となっては記憶の底に沈んだままで定かではない。
だが「悪霊」「白痴」「カラマーゾフの兄弟」などの作品を、
まるでマラソンや登山の苦行難行のように熱心に読み続けたことを覚えている。
たぶん当時はこの作家を神のように崇めていたのだろう。
ドストエフスキー教の信者だったと言うべきか。
こんな息苦しい観念論がぎゅうぎゅうと詰め込まれた作品は、今後二度と読むことはないだろうし、
苦行を強いるようなので他人にも推薦しにくい。
ただしこの「賭博者」だけは例外で実に興味深く読んだ本だった。
私は貧乏学生のときに、アルバイトで稼いだ生活費を
パチンコで使い果たして自己嫌悪に陥ったことがあった。
ちょうどその時にこの小説を読んだのだが衝撃的だった。
主人公は、まさに阿呆な自分のことだった。
主人公と同じように自分がどうしようもなく愚かで弱い人間であることを知らされれると同時に、
神様のように思っていたドストエフスキーが私など足元に及ばないほどの愚か者であることを知って安心した。
つまりこの小説は作者の実体験に基づくものだったのだ。
以来私は、下らぬ賭け事に財産を投じるような人生だけは送っていない。
それはこの本のおかげであるような気もするのだ。
018 ねじまき鳥クロニクル 村上 春樹 不思議な意識世界を創造したなかなかの作品だと思う。
はっきり記憶に刻まれるようなあらすじはない。
しかし不思議な魅力に満ちあふれた文体だ。特に比喩の使い方に感服した。
この作品だけで中学校の国語の良い教材が作れると、私は触手が動く思いがした。
文芸の名に値する作品だと思う。
そして国際的に広く愛読者がいるということに納得したのだった。
日本人で次にノーベル文学賞をもらうのはこの人ではないだろうか。
その日に慌てないために、とりあえずこの一冊を読んでおくことを勧めたい。
019 論語   江戸時代(たぶん)以降、日本の子供はこの偉大な書物の名言を暗唱することにより、
人生についての大きな啓発を受けながら育ってきた。
言わば「論語」とは国民的な道徳教科書だったのだ。
ところで、幕末から明治初期にかけて来日した欧米諸国の知識人たちは数多くの日本見聞録を残した。
それらを読むと彼らが共通して日本人を絶賛していることがあることに気付く。
それは例えば謙虚さ、礼儀正しさ、正直さ、思いやりなどである。
当時の欧米の上流階級が子弟に苦労して身につけさせようと努力している道徳心を、
日本人が一般庶民に至るまで当たり前のように身につけていることに驚嘆しているのだ。
例えば日本アルプスの名付け親として知られるイギリスの若い宣教師ウィストンは、
その著書「日本アルプス登攀記(岩波文庫)」の中で、
北アルプス(飛騨山脈と言うべきだ!)の奥深い山小屋で出会った番人の老人の、
礼儀正しさと奥ゆかしさに感動して「このような真の意味でのジェントルマンには
祖国イギリスでも出会ったことがない」と褒め讃えている。
また彼らは、日本では子供たちや一般庶民がごく普通に本を読んでいる姿に感心している。
当時の日本は寺子屋という教育システムにより識字率は世界一だったと言われているのだ。
この二つの「奇跡」の源が「論語」であったことは間違いない。
「論語」の学習を通して我が日本人は漢字を覚え、かつ道徳的概念を骨肉としていったのである。
現在「論語」は、全国の中学校・高等学校の国語の授業を通して、
一生読みたくないという決意を生徒たちに植え付けているわけだが、
私は全編を通読することを国民の義務としたい。
選挙権も憲法改正の国民投票権も婚姻・飲酒・喫煙もすべて、
これを通読したと言う証明書がなければ許可しないようにしたい。
私が総理大臣だったらすぐにそういう法律を作りたいものだがいかがなものでしょうか。
中学生には早過ぎる31冊
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