読売教育賞受賞
手作りカヌーで富士五湖横断
元 東京都多摩市立多摩中学校長  山本修司

  
A:山中湖/B:河口湖/C:西湖/D:精進湖/E:本栖湖

(このページは著作権者の山本校長の許可を得て掲載しています)


1 全国ニュースで紹介されたカヌーの取り組み 2 校長着任時の学校の状況 3 荒廃の原因の考察
4 生徒と教職員の一体感のある学校を作りたい 5 若い技能主事と教育相談員の提案 6 校長室がキャンプ場に変身
7 プールでのデモンストレーション> 8 カナディアンカヌーとは何か 9 作製そして完成
10 「西湖」の横断に成功 11 「特色ある教育活動予算」が認められる 12 学生ボランティアや卒業生も参加
13 ターゲットの生徒たちも参加する 14 マスコミの取材攻勢 15 グラスファイバー塗装に挑戦
16 盛大に「進水式」を開催 17 不登校学級の生徒たちが、「西湖」横断に成功 18 友情を確かめ合った「本栖湖」横断
19 卒業生が「山中湖」横断を断念 20 新入生が「山中湖」横断に成功 21 大雨の中「精進湖」横断に成功
22 ついに「富士五湖」完全制覇 23 荒れた学校の奇跡的な変容
1 全国ニュースで紹介されたカヌーの取り組み
平成16年8月30日、フジテレビの昼のニュース番組で、 本校の生徒たちのカヌー作りと富士五湖の「全湖横断」達成の様子が紹介された。 学校の木工室でのカヌー製作の場面から始まり、富士山麓の五つの湖の横断に次々と成功していく様子を 4分間にわたり紹介したのである。 そのニュースの映像を見ながら私は、校長としての3年間の学校づくりの取り組みが 一段落したのだという感慨を深くしていた。

2 校長着任時の学校の状況
平成14年4月、校長として本校に着任した私の目に映ったのは、きちんとした集団行動がとれない生徒たちの姿だった。 始業式の日。整列ができない、礼ができない、話を集中して聞けない・・・。 ざわついた雰囲気の中で焦燥感を抱きながら私は校長室に戻った。 ほどなくして2、3年生の集団エスケープの報告があった。 式後の学活を勝手にさぼって帰宅してしまった生徒が数クラスで発生したという。その数は10人近くにのぼっていた。 以後、何かしらの事件が発生する日々が続いた。生徒のトイレでの喫煙は常習化しており、 毎朝、教頭が校内の見回りを通して何本もの吸い殻を拾い集めていた。 私が驚くと、ここ数年の中では拾う本数は減ってきているという返事であった。 教室や廊下の電気のスイッチが毎日壊された。私と教頭と技能主事の3人が、 早朝手分けしてドライバーをもって校内を修理してまわった。朝礼で生徒たちにその話をし、 反省を促すと翌日はさらにその破壊箇所が増えた。集団エスケープ、授業妨害、教師への暴言・小暴力、集団遅刻が 日常的に発生した。また突発的な事件としては、非常ベルや消火器へのいたずら、 卒業生との関わり、夜の飲酒事件等が起こった。それらの報告を受けるたびに当該生徒や保護者を呼んで説諭したのだが、 いっこうに状況は変わらなかった。校内を巡回して、混乱している教室に入って注意する私に平然とつかみかかってくる生徒と、 それを面白がってヤジをとばす周囲の生徒たちを前に、私自身も絶望感や無力感に襲われそうになっていた。

3 荒廃の原因の考察
学校の荒廃の原因を指摘するのは難しいことである。保護者や地域は教職員の指導力量を問題にする。 教職員は家庭や地域のしつけの悪さを指摘する。だが、どれも正解とは言い切れない。 このような状況が生ずるのは、いくつもの要素が複雑にからみあった結果だからである。 私が本校で問題だと思ったことの一つに、教職員と生徒たちの間に、 越えがたい深い溝があると感じられることだった。確かに、ほとんどの教職員は誠実な態度で授業や生徒指導に 一生懸命に取り組んでいた。しかしそれにもかかわらず、私の耳に入ってくるのは、 教職員に不信感をもつ生徒や保護者の声だった。 私は何とかして生徒と教職員が深い信頼感でつながるような学校に変革しなければならないと痛切に思った。

4 生徒と教職員の一体感のある学校を作りたい
生徒と教職員の間の溝を埋めるにはどうしたらよいのだろうか。 それが私の校長のしての大きな課題だった。そのためには、授業の充実はもちろんであるが、 それ以外に生徒が自分の持ち味を発揮できる場面をできるだけ多く作ることが必要だと考えた。 部活動、学校行事、生徒会活動など、様々な場面で生徒と教職員がともに熱く取り組み、 達成感を味わえるような学校を作りたいと考えたのだ。 私は、その一方策として、運動会の朝の練習の時間を増やして、 生徒と担任たちが心を一つにして燃え上がるような行事にすることを職員会議で提案した。 また、折から日本と韓国で共催されたサッカーのワールドカップを体育館のステージに大画面で映して みんなで声援を贈ったりすることを企画した。 それらのイベント的な試みは、少しずつ本校の生徒と教職員との心の距離を近づけていく成果を もたらしたようにも見えた。だが、学校を変革するためには、もっともっと熱い取り組みが必要だった。

5 若い技能主事と教育相談員の提案
「校長先生、夏休みに生徒たちと一緒にカヌーを作りたいのですが、よろしいでしょうか。」   平成14年7月、私が着任して3か月ほどたったある日の昼下がり、 突然、校長室に二人の男性職員が入ってきてこう言った。一人は本市の教育センターに所属する40代男性の カウンセラーのさん、もう一人は、本校の若い技能主事の島崎さんである。   「カヌー作りだって? この生徒指導の大変な状況の中で? 何のために? どうやって? 」 その申し出は、私にはまったく突拍子もないものに思えた。そのころ私は、毎日の生徒指導で心身ともに疲れ果てていた。 夜中に目が覚めては生徒指導の方策を考え、眠れない日が続いていた。 夏休みが近づいて、ようやく心と体を休ませることができると思っていたのに、そんな取り組みをしようだなんて、 とんでもないことを言い出す二人だ。疲れがどっと出る思いだった。   「インターネットで調べたのですが、ベニヤ板を切り抜いて組み立てるカナディアンカヌーの設計図が市販されているんです。 希望する男子生徒を集めて、夏休みに木工室を利用してみんなで作りたいんです。」   いぶかる私に対して、島崎さんは明るい声でそう説明した。5月に本校の技能主事が病気で長期入院をし、 その代理として派遣されてきた技能主事が島崎さんだった。 彼は、思春期の生徒たちの揺れる心情を理解することができる20代のおおらかな青年だった。 特に、勉強に気持ちが向かない一部の生徒たちを何とかしたいと真剣に考えていた。 教職員に対して強く反発する生徒たちも、廊下でモップをかけながらおだやかに話しかけてくる若い島崎さんには好感を抱いていた。 一か月前に、日本中がサッカーのワールドカップで盛り上がっていたとき、私は思い切って午後の授業をカットし、 体育館の大スクリーンを使って観戦することを決めた。 授業時数の削減や指導の困難さ等を理由として教員の一部からは猛烈な反対の声が上がり、実施が危ぶまれたときも、 島崎さんはポスターづくりからテレビアンテナの設置、プロジェクターのセッティングなどに大活躍をしてくれたのだった。 当日は大成功だった。教師と生徒が体育館で日本チームに大声援を送り、勝利の感激に酔いしれることができたのだった。   「この学校にはエネルギーを持てあましている生徒がたくさんいます。 問題行動の解決のためにも、生徒と教師が一緒に活動するカヌー作りの取り組みは大きな意義があるはずです。」 と、同行してきたカウンセラーの新田さんが言った。本校の生活指導で悪戦苦闘する日々は依然として続き、 教職員の真剣な取り組みにもかかわらず事態は悪くなる一方だった。 少し前には、授業中に廊下の掲示板から火の手が上がり、警察や消防車を呼ぶ騒ぎまで引き起こしていた。 そのような非行対策の手だての一つとして、市の教育委員会に依頼して、週2回本校に派遣してもらっていたのがカウンセラーの新田さんだった。 過去に少年院での教官の経験をもつ新田さんは、「問題行動を起こす少年の心に自制心を育てるためには、 単に甘やかすような共感的理解の姿勢で接するのではなく、大人が自信をもって壁となって彼らにブレーキをかけることが 大切なのだ。」という教育理念を持っていた。その考え方には私も心から共鳴していた。   二人の説明を聞いているうちに、私の迷いは消えていった。確かに二人の言うとおりだった。 本校の生徒たちと教職員の間には、目に見えない深い溝がある。この学校を改革するためには、 生徒と教職員がもっと熱く関わる校風を作らなければならない。 そのためには、教職員と生徒が一緒になって盛り上がれるような有意義なイベントをどんどん作るのがいいと、 私はずっと思っていた。カヌーだろうがなんだろうが、とにかく何かしら思い切った手を打たなければ本校の荒れは永遠にとどまることはないのだ。   しかし、現実的には様々なハードルがある。カヌーを作るというのは大変面白いアイディアだ。 だが、費用は? 労力は? そして何より、川で遊んだときにケガをしたりする危険性があるが、 誰がその責任をとるというのか?    「うーん」と一呼吸おいてから、私は二人に言った。  「わかった。おおいに結構だ。やろうじゃないか。まず私が学校だよりで全校生徒に参加を呼びかけよう。 だが、カヌーを作るだけでは面白くない。完成した暁には、山梨県まで出かけ、富士山のふもとでキャンプをやろう。 そして富士五湖の横断に挑戦しよう。エネルギーの余っている連中を徹底的にしごく、命をかけたサバイバルキャンプをやるんだ。 もちろん私も参加するよ。」と。   ダメと言われることを半ば覚悟していたらしい二人の顔がぱっと明るくなった。 島崎さんは、「さっそく明日までに具体的な企画書を作ってきます。」と声をはずませた。

6 校長室がキャンプ場に変身
翌朝、登校して校長室に入った私は目を見張った。テント、テーブル、ランタンなどのキャンプ道具がところ狭しと置いてあるではないか。 それらは、二人がさっそく私に無断で運び込んだものに違いない。うーん、何というやつらだと思いながらも、 内心私はわくわくしていた。二人にはまだ言ってはいないのだが、実は私も若いころからのアウトドア大好き人間だ。 しかもカヌーについてはかなりの経験者だった。 翌日、私も負けじと長さ4メートルの折りたたみ式のカヌーを校長室に運び込んだ。 若いときに塩化ビニール製の工事用パイプやテント地などの材料を買い集めて作った手作りのカヤックである。 それを持って家族で車で北海道に旅行に行き、釧路川で川下りをして遊んだこともあった。 雰囲気を盛り上げるために私は、儀式などで校旗をたてるためのポールスタンドを校長室に持ち込み、 大きなランタンをぶら下げた。校長室に入ってきた教職員は皆首をかしげてそれを眺めた。 開け放したドアから不思議そうな顔でのぞき込む生徒に私は声をかけた。 「雑草をおかずに飯を食う。トイレでは葉っぱで尻をふく。命をかけて湖を漕ぎわたる。 そういうキャンプだ。君も一緒に行こう。」すると生徒たちは皆、顔をしかめてしり込みをした。 私は学校だよりで全校生徒240人と保護者に参加を呼びかけた。島崎さんは昇降口にポスターを張り出した。

|===============================|
|ベニヤ板で組み立てるカナディアンカヌー作りに挑戦しませんか。      |
|完成したら、みんなで富士五湖でキャンプをして遊びましょう。        |
|製作期間は、夏休み中の火・木曜日。参加費は無料です。          |
|===============================|


7 プールでのデモンストレーション
夏休みに入って最初の火曜日。第1回カヌー教室にやってきたのは、 島崎さんが個人的に強く参加を呼びかけた3年生の男子生徒が3人だけだった。 私は少なくとも10人は集まるだろうと思っていたのだが、部活動や学習塾などがあるせいか出足は悪かった。 島崎さんが設計図を広げて作製手順を説明した。ところが生徒は早くもギブアップの気配だ。 「かったるいよ。設計図なんてどうでもいいからベニヤ板で四角い箱を作ればそれでいいじゃん。」 難しそうな設計図を見ただけですっかりやる気を失っているのだ。日ごろの授業での雰囲気とそっくりではないか。 そこで私はプールにカヤックを運んでデモンストレーションを行うことにした。 校長室に運んで組み立てておいたカヤックと、島崎さんの車の屋根に積んであったカナディアンカヌーの2隻をみんなでプールに運んだ。 そして船体を石けんできれいに磨いたあと、プールに浮かべ、生徒たちに乗り方を教えてやった。 私や島崎さんがそれぞれの船に手際よく乗り込んでパドルを操って見せると生徒たちの目が輝いた。 操り方を教えるとプールの水面で彼らは何度か転覆したが、まもなく慣れてきてすいすい漕げるようになった。 「どうだ自分たちで作ってみるか、そしてキャンプに行って湖横断に挑戦するか。」というと、 生徒たちは目を輝かせて「やりたい。」と言った。 スクールカウンセラーの新田さんがしみじみと言った。「プールでこんなことやらせる校長なんて聞いたことないけど、 生徒たちにとっては貴重な体験ですよね。」 と。

8 カナディアンカヌーとは何か
ここで、カヌーの作り方の紹介をする。まずカナディアンカヌーとは、一見すると普通のボートに似ている。 だがボートは一人が両手に2本のオールをもって漕ぎ、後方に向かって進むが、カヌーは、二人乗りの場合、 それぞれ1本のパドルを持って漕ぎ、前方に進む。そこが大きく違うのである。 インターネット情報を元にして私たちが購入したのは、「一万円で作るカナディアンカヌー」という本である。 発行者は「カヌー製作友の会」で定価は4800円。原寸大の設計図がついている。 まず、長さ1.8メートル、幅90センチメートル、厚さ4ミリのベニヤ板に設計図を貼り付け、 画鋲を止めながら部品ごとの線を写し取る。次にジグゾーを使って線の通りに切り抜いていく。 簡単そうだがなかなか繊細さと根気を必要とする作業である。それが終わったら、それらのパーツを、 ボンドをたっぷりと塗った綿のテープでつなぎ合わせていく。まるでプラモデルを作るような感覚である。 たった4ミリの薄いベニヤ板で本当に大人二人が乗れるようなカヌーが作れるのだろうかと、私たちは半信半疑で取り組んだものだった。 だが、立派な船が完成したときの驚きと感動はひとしおであった。設計者の井瀬敦司さんの才能と熱意に大いに感謝と尊敬の意を表したい。 なお、「友の会」のインターネットのホームページには、本書を利用して作製した全国の皆さんの写真がたくさん公開されている。 今回の企画では、カヌーを実際に作製し、所有したいという教職員が費用を出すことにした。 私と島崎さんともう一人の教員の計3名が名乗りを上げ、まず1万円ずつ拠出することにした。 だが、実際には何かと費用がかさむので、とりあえずは1艇のみ作ることにし、追加の費用はすべて私が出すことにした。

9 作製そして完成
夏休みの木工室。参加する生徒は毎回4〜5人程度だが、取り組む顔は日ごろの授業では見たことがないほど真剣だった。 集まりの悪い生徒たちには、島崎さんが毎朝電話をかけて呼び出した。自由参加なので、 部活動にきて通りがかりに興味をもった生徒にはその場で参加させた。 エアコンのきかない木工室は暑く、みな汗だくになりながら作業を続けた。 そんな中で、生徒たちと新田さんや島崎さんとの会話もはずむ。冷たい飲み物を差し入れにやってきた母親が 息子の働く姿をうれしそうに眺めている。気持ちよく汗をかいてようやく半日の仕事を終えるころに、 アウトドアの名人の島崎さんがキャンピング道具を駆使して中庭で飯を炊いた。 焼いた鮭や貝を混ぜ、おにぎりを作ってほおばるのだ。ダッチオーブンで作るご飯は抜群に旨い。 作業は島崎さんの指導で順調に進んでいくが、部品数が多いのでなかなか大変である。 しかも、ボンドが固まる時間を必要とするので、行程をゆっくり進めなければならない。 素人には厄介な作業の日が続いた。 あるとき父親の中で大工をしている人に電話で協力を頼んでみた。すると喜んで参加してくれた。 何度か息子の生活指導でのことで来校した父親であるが、思う存分に腕をふるってくれたので、 みるみるうちに作業がはかどった。作業後に校長室でカツ丼を食べつつ歓談しながら、 このように校長と父親が仲良くすることこそが子どもの健全育成につながっていくのだろうと思った。 そのような週2〜3日の作業を1か月続けて、8月の半ばにようやく、長さ4メートル、 幅1メートルの2人乗りのカヌーができあがった。防水のために船体にペンキを塗られたカヌーは、 中庭の緑濃い芝生の上で夏の日差しを浴びながら輝いた。作製に関わった生徒たちにより、 その船はサマールと名づけられた。次はいよいよキャンプである。

10 「西湖」の横断に成功
夏休みも終わりに近づいた8月の下旬、生徒4名、保護者1名、教職員7名、計12名が車4台に分乗して 富士山麓の「西湖」の湖畔のキャンプ場へ向かった。部活動の指導などで忙しく、カヌー作りには参加出来なかった教職員たちも 同行してくれた。車に積んで運んだのは今回作ったベニヤ製のカヌーのほかに、私の折りたたみ式のカヤックと 島崎さん所有のカナディアンカヌー、計3艇である。万が一の事故に備えて、一日傷害保険へも加入するとともに 全員分のライフジャケットも準備した。今回目指したのは、本校の教員の親戚が経営している大きなキャンプ場だった。 シーズンが終わったので自由に使って良いという大変ありがたい申し出であった。 西湖に到着すると、すぐに宿泊用のテント3棟を組み立てた。そして生徒たちがみなで協力しあってカレーを作った。 学校では見られない頼もしい姿だった。昼食が終わるとさっそく湖にカヌーを運んだ。だが波打ち際にまで降りてみると、 折悪しく午後の湖の波は荒い。キャンプ場の管理人の奥さんが「今日は風が強く波が高いから、ウィンドサーフィンにはいいが、 カヌーはひっくり返るからやめといた方がいいですよ。」と言う。 ためしに私が自分のカヤックで岸辺の近くの水面を乗り回してみたが、強い波にもまれて岸辺に乗り上げた拍子に、 骨組みのパイプが折れてしまった。しかたなく私は「この波では横断は無理だ。今日は岸辺で遊ぶだけにして、 湖の横断は明日に延ばそう。」と皆に言った。 ところがしばらく岸辺近くの湖面で遊んでいるうちに、無鉄砲にも3年生の2人組が自分たちの作ったカヌーで 荒波の中を勢いよく飛び出していった。対岸までは1キロメートル以上はある。 私は「なあにすぐに転覆するかあきらめるかしてUターンするだろう。」と眺めていたが、 カヌーはみるみるうちに遠ざかっていった。「生徒たちはどうやら本気らしい。」と気づいた私は、 もう1艇のカナディアンカヌーに飛び乗ると2人の後を追った。「なかなかいいファイトしてるじゃないか。」と思いながら。 だが向かい風なので私の船はなかなか前進しない。力を込めてパドルをこぎ、15分くらいかかってやっと2人に追いついた。 手作りのパドルは扱いにくいのか、前後に並んだ2人は大きな声をかけ合いながら、右、左とじぐざぐに進んでいた。 「がんばれ、あと半分だ。」と声をかけながら私は伴走した。 湖の対角にあるキャンプ場の岸辺を見ると、車で先回りした教員たちの姿が小さく見えた。 ようやくあと100メートルほどになったとき、「さあ、どっちが先にゴールするか競争だ。」と声をかけておいてから私は ダッシュをかけた。ゴール地点では、仲間や大人たちが手を振っている。漕ぎ手の掛け声がいっそう大きくなった。 そして拍手に包まれながら彼らはゴールした。2人はまぶしそうな笑顔を見せた。 その夜は、生徒たちは、楽しく花火などで過ごし、テントで島崎さんとふざけあって遊んだ。 彼らは通常の学校生活では味わえない大きな思い出を作ることが出来たに違いない。 こうして、1年目のカヌープロジェクトは終わった。費用、労力、責任という3つの大きなハードルは、 校長の覚悟ひとつで簡単に超えることができるのだということを実感した取り組みであった。

11 「特色ある教育活動予算」が認められる
平成15年度、本校の「特色ある教育活動」として、手作りカヌーで環境学習を行うという活動計画を立てて 多摩市の教育委員会に予算配当を申請した。本校は、多摩川とその支流の大栗川の合流する中州的な位置にある。 東京都でも有数のバードウォッチングの名所である。学校の目の前の岸辺で、カワセミが瑠璃色の翼をひるがえしながら、 見事なダイビングを見せている。さらに絶滅危惧種に指定されているオオタカが、川面で遊ぶ白サギを狙って崖の上の林の中で 息をひそめている。オオタカが狩りをする季節になると、東京中から愛好家が川岸に集結し、 大口径の望遠レンズの砲列を作る。私も何度かデジタルカメラを携えて見に行った。 一度は、雑木林から飛び立ったオオタカが空中のキジバトの群れに飛び込む勇壮な場面を目撃した。 こんなにも稀少で豊かな自然環境を教育に利用しないで何としよう。「特色ある教育活動」の申請書を作りながら私は、 本校の生徒たちが数艇の手作りカヌーに乗ってカワセミやオオタカを観察する姿を想像して胸を躍らせた。 予算は、ほぼ全額が認められた。その内容は、4艇の材料代として約5万円。 ライフジャケット10着で10万円。その他に、水中生物観察用ルーペ、野鳥の観察用スコープ、水質検査キット、 記録用デジタルカメラ等で総額20万円を超える大きな金額だった。

12 学生ボランティアや卒業生も参加
夏休みに入っていよいよ2年目のカヌー作りが始まった。昨年カヌー作製に参加した卒業生たちが、 今度は指導者として顔を出してくれることになった。立役者の島崎さんは、異動先の学校から毎週金曜日に来校してくれる。 週に1回の派遣を許可してくれた校長さんはなんと太っ腹なんだろう。 本校の職員では、随時、教頭の肥後先生やカウンセラーの新田さん、そして技能主事の真野さんが指導に当たるので、 指導スタッフは十分に整った。 しかし、今年は4艇をつくることにしたので、人手はいくらあっても足りない。 そこでインターネットでボランティアの学生を募った。すると2人の教員志望の大学生が応募してくれた。 生徒たちと一緒になって汗を流す彼らの姿は、将来の熱血教師をみるようで頼もしかった。 昨年同様、大工さんをしている父親を始め数人の保護者がボランティアで参加してくれたのもありがたかった。 生徒にはいつでもだれでも自由に参加してよいと呼びかけた結果、活動が始まると、部活動や塾などの合間を縫って、 毎回、5名から10名の生徒が参加した。

13 ターゲットの生徒たちも参加する
ある日、昼休みに例によって、ダッチオーブンで炊いたご飯でにぎりめしを作り、 中庭の芝生の上で車座になって食べていると、3年生の男子生徒が5〜6人自転車でやってきた。 実は彼らこそ私が一番カヌー作りに参加してほしいと考えている生徒たちであった。 勉強、部活動、趣味等なんでもいい。とにかく何か一つ輝くもののある生活であってほしいと願っていた生徒たちだ。 夏休みに入ってから私は、毎日のように彼らに電話をして、参加するよう誘っていた。 いきなり校長から電話がきたので驚いたのだろう。日ごろは教職員に反発している彼らが、 神妙に「時間があったら行きます。」と答える口調がほほえましかった。 だが、いざとなると、だれ一人として参加する者はいなかったのである。 しかし、校長の私がこのように声を掛けること自体が彼らの気持ちを軟らかくするであろうことを私は期待していた。 私たちを遠巻きにして眺めている彼らに向かって島崎さんが近づいて行った。 手に持ったお盆にはおにぎりが山のようにのっている。 驚いた顔をしながらも、うれしそうな声で礼を述べて彼らはほおばった。 一人が2、3個を食べ終えたころ合いを見計らって私がすかさず声をかけた。 「おにぎり1個につき1時間働くんだぞ。」すると彼らは「えーっ。」と不満の声を上げながらも素直に木工室に付いてきた。 そして実に真剣にジグゾーやかんなを使い始めた。だれもがいい顔つきをしている。 休みに入ってすぐに頭を茶色に染めてしまった生徒に私は和やかな口調で話しかけた。 「本当は茶髪の生徒は学校に入れてはいけないんだが今日は特別だよ。ところでいつその頭を元に戻すつもりだい?」と。 すると彼もまた穏やかな口調で答える。「お盆に田舎に帰るのでその前に元に戻します。」と。いい雰囲気である。 もちろん、自転車、私服、茶髪で登校した生徒を校舎内に入れるのは、教職員としては指導上のルール違反である。 一緒にカヌーを作っている姿を、生活指導に厳しい教員に見られたら苦情を申し立てられそうだ。 だが、本校の生活指導の現状は、服装の指導のレベルではなかった。とにかく、きっかけは何でもいい。 まずは彼らに学校に対する信頼感を持たせることが必要だと私は考えていた。 そもそも島崎さんや新田さんのカヌー作製プロジェクトの発想の原点はそこにあったのだ。

14 マスコミの取材攻勢
教職員と生徒たちが木工室に集まって製作に取り組んできたカヌーが少しずつ船の形に近づいてきた。 幅1メートル、長さ4メートルのカヌーを4艇、木工室の廊下にずらりと並べてみるとなかなかの壮観である。 その光景を見ていて、ふと私は、生徒たちが熱心にカヌー作りに取り組んでいるこのような姿は、もしかしたら、 マスコミも注目してくれるのではないかと思いついた。 そこでためしに、「本校の特色ある教育活動を取材に来ませんか」と読売新聞と東京新聞に電話で話してみた。 すると思った通り、それは面白いと言ってさっそく2社の新聞記者が取材にやってきた。 生徒たちが汗だくになって作っている様子を盛んにシャッターを切ってカメラに収めた。 そして、生徒たちにインタビューをして感想を聞いていった。数日後、それらの様子が写真付きで大きく掲載された。 すると翌日から、別のマスコミ関係者から次々に問い合わせがきた。 来校した他の新聞社の記者には「他社と同じような記事ではつまらないでしょう。 カヌーが完成したら、学校近くの多摩川に生徒たちを集めて盛大に進水式を開催しますから、 そのときに生徒たちがカヌーで遊ぶ姿を載せたらいいのではないですか。 カヌーは昨年作ったものなどを加えると全部で8艇もありますからこれは絵になりますよ。」と勧めたら、 是非そうしたいと言って帰った。 次に、「新聞を読んだ。進水式はいつごろになるのか。」と日本教育新聞と毎日中学生新聞が電話で問い合わせてきた。 続いて、地元のケーブルテレビ局とFMラジオ放送局が取材を申し込んできた。 次々に舞い込む取材申し込みに、改めて私たちの取り組みが本当にユニークなものなんだと再認識する思いだった。

15 グラスファイバー塗装に挑戦
完成に近づきつつある4艇のカヌーを前にしてだんだん欲が出てきた。 ここまできたら、近くの川で遊ぶだけではもったいない。 初めは冗談半分で言った「富士5湖全湖横断」だったが本当に挑戦したい。 そのためには、船体をもっと丈夫にする必要がある。防水のペンキ塗料だけでは、 岩や岸壁に衝突したときの衝撃にはとうてい耐えられないだろう。 私がそう言うと、さっそく島崎さんが、インターネットでグラスファイバー塗装の方法を調べてきた。 写真付きの説明を読むと、素人にもなんとかできそうな気がしてきた。 そこでさっそく4艇分のグラスクロス(ガラス繊維をレースのカーテン状にしたもの)と塗装材料のFRPを購入した。 まず船体をひっくり返して船全体をガラスクロスでていねいに覆った。 その上から、FRP塗料をたっぷり含ませた専用のローラーで塗っていった。 1時間ほどたつと、船体はすっかり固まり、厚さ4ミリのベニヤ板が、金づちでたたいてもびくともしないほど丈夫になった。 この作業は危険な薬剤を使うので生徒は参加させずに教職員だけで行った。 この作業には、女性事務主事をはじめ、時間の合間をみて沢山の教職員が積極的に参加してくれた。 そうこうしているうちに夏休みが終わってもまだ4艇のカヌーは完成できなかった。 2学期が始まったある晴れた日、ようやく完成に近づきつつあるカヌーに、ペンキ塗りをすることにした。 色とりどりのペンキ缶を沢山用意して、昼の放送で生徒たちに参加を呼びかけると、多数の生徒が集まった。 ちょうど会議を開いていたPTAの役員のお母さんたちも加わって、わきあいあいと作業は進んだ。 こうしてカラフルなカヌーが4艇、ついに完成した。

16 盛大に「進水式」を開催
「進水式」は授業参観日の代休日にあたる9月22日(月)に、多摩川で実施することにした。 国土交通省の管理事務所に書類を提出して河川使用の許可をもらった。 地元の漁業組合長さんに連絡をとって、船遊びをすることの了解も得た。 そして助言に従って、1週間前から、河川敷に立て看板を立て、カヌー遊びの予告をした。 これらの手続きを怠ると、高い入漁料をはらって釣りを楽しんでいる人々が怒って石を投げつけてくるらしい。 特に多摩川ではそういうことがあると、カヌーイスト野田知佑氏の著書に書いてあったので慎重に準備を進めたのだ。 いよいよ当日の朝がきた。出勤した私が、進水式の予定場所の様子を見に行くと、前日の台風の大雨の影響で、 多摩川は増水し、黒く大きくうねっていた。この急流ではたちまち遭難すること必至であろう。ふと思いついて、 学校の南側の校庭側を流れる支流の「大栗川」の様子を見に行った。 すると、普段はカヌーをやるには水が少なすぎる大栗川が、増水してちょうど良い深さになっているではないか。 マスコミ各社からは、この台風後の状況で本当にやるのかと、次々に電話での問い合わせがきたが、 私は自信を持って決行を伝えた。 集合時刻が近づくと次々に生徒や保護者が集まってきた。生徒は約50名。 教職員は休日だというのに半数以上の15人も集まってくれた。 お手伝いのPTA役員を中心とする保護者も20人ほど集まり、お昼の焼きそば作りの準備に取り組んでくれた。 ラジオがカヌーを運ぶ生徒たちの姿を中継し私の談話を流す。地元のケーブルテレビ局がカメラを回す。 読売、朝日、東京、その他教育新聞等の新聞記者たちが生徒たちにインタビューをする。 なんともにぎやかな雰囲気の中で、川原に色とりどりの8艇のカヌーを並べて進水式を行った。 内訳は、昨年生徒が作ったカヌーが1艇、その後島崎さんが一人で作り上げたカヌーが1艇、私のカヤックが1艇、 今年度作製したカヌーが4艇、そして島崎さん所有の市販カヌーが1艇である。 私が挨拶をした後、生徒・保護者・ボランティアの大学生・教職員の代表4人が今年新たに作った4艇の船首に、 「多摩源流水」をふりかけた。その水は、私が先の日曜日に、多摩川源流のある小菅村までオートバイを 走らせて仕入れてきたものだ。川原に大きな拍手が響き渡った。そして、2人組になった生徒たちが、 次々にカヌーに乗り移り川面にこぎ出した。流れはゆるやかで、水量は台風のおかげでちょうど良く増水している。 生徒たちは歓声を上げながら水面をゆったりと漂った。黄色や青やピンク色の色とりどりのカヌーが川岸の緑に映える。 思わぬちん入者に驚いて、時折鯉がぴしゃりと水上を舞う。突然1艇のカヌーがひっくり返って男子生徒が水に落ちた。 その様子をしっかりとテレビカメラが追う。なんと楽しくかつ牧歌的な風景だろうか。 昼にはPTAの母親たちが用意した100人前の焼きそばをみんなでたいらげ、 川遊びを満喫した生徒たちは家路についていった。その日の様子は後日、次々に新聞や地元のテレビで紹介された。 かくして、大きな満足感を残して「手作りカヌープロジェクト」は大成功に終わった。 次はいよいよ「富士五湖すべての横断」に挑戦である。

17 不登校学級の生徒たちが、「西湖」横断に成功
その年の10月、授業を終えた私は「富士五湖横断に挑戦してみないか。」と、生徒たちに声をかけてみた。 本校には市内の全中学校から不登校傾向の生徒たちが通う個別指導学級が設置されている。 その教室の責任者でもある私は、彼らとのふれあいをもつために週に1回国語の授業を受け持っているのだ。 すると期待通り数人の生徒が目を輝かせて「やってみたい。」と手を上げた。 実は以前に、ある不登校生徒の保護者から、「飼い犬と一緒なら学校に通うことができるかもしれない。」 と相談を受けたことがあった。私は即座に了承した。次の日、教室の生徒たちに呼びかけた。 「一人の生徒が学校に来れるかどうかの瀬戸際なんだ。教室で犬が君たちと一緒に授業を受けることを認めてくれないか。」と。 最初は驚いた生徒たちだったが、まもなく全員が賛成してくれた。一人の生徒が言った。 「僕は犬が嫌いだけど、その子のために協力します。」と。私はその優しさに心を打たれた。 この教室に通うのは、そのように気持ちの繊細な生徒たちばかりだった。 そのような生徒たちを元気づけるイベントとして、手作りカヌーによる湖の横断はうってつけだと考えたのだ。 次の日曜日、私の運転するワゴン車の屋根に1艇、島崎さんの愛車の英国製ジープに2艇、 計3艇のカヌーを積みこんで富士山麓を目指して出発した。参加したのは生徒が6名。保護者が2名、 担任を初めとする教職員が5名の陣容だった。距離は約80キロメートル。 高速道路を使用して約2時間である。昼食は湖畔のキャンプ場で親子ともども楽しくバーベキューを行った。 そしてそれが終わったあと、いよいよ湖横断に乗り出した。 ゴールは、はるか1キロメートル先である。幸い湖面はおだやかだった。 しかし薄いベニヤ板製の2人乗りのカナディアンカヌーは、慎重にバランスをとらないとすぐにひっくり返る。 生徒たちには学校のプールで一度練習をさせておいたので基本的なパドル操作はできるようになっていた。 それでも、呼吸が合わずなかなか前に進まない2人組がいた。転覆したら心臓麻痺を起こしかねないほど水は冷たい。 予定では40分くらいで対岸に着くはずだった。しかしその2人は、パドル操作の呼吸がどうしても合わず、 1時間以上も湖上をぐるぐると旋回し続けた。まだ半分の距離も進んでいなかった。 別の貸しボートで随行していた私はついに宣言した。「もう日が暮れる。今日はあきらめなさい。 ロープを投げるからそれにつかまって付いてきなさい。」と。だが驚くべき言葉を少年たちは口にした。 「いやだ、それじゃあ、なんのために来たのかわからないじゃないか。」と。その言葉を聞いた私は大変うれしかった。 そして徹底的につきあってやろうと思った。それからさらに時間をかけてついに彼らはゴールインした。 この達成感が大きな自信につながり、彼らの今後の人生の心強い応援歌となるのではなかろうか。

18 友情を確かめ合った「本栖湖」横断
11月、何とか励ましたいと思った生徒がいた。彼に必要なのは「自信」の回復だった。 そこである日、その少年を校長室に呼び出して誘った。「私と一緒に手作りカヌーで富士五湖を横断してみないか。 すごい冒険だよ。」と。彼の目は一瞬輝き、「やりたい。」と答えた。 次の日、私は彼の同級生たちを校長室に呼んで誘った。「一緒に行って彼を元気づけよう」と。彼らは深くうなずいた。 そして次の休日、私の車の屋根に一艇のカヌーを積み、6人の男子生徒を私と肥後教頭の2台の車に分乗させ、 新田さんを加えて3人の引率で富士山麓を目指した。行楽シーズンを終えた本栖湖の水面は静まりかえっていた。 彼らは交代しながら1時間かけて湖を往復した。私の言葉を忘れなかった同級生たちは友人に温かい声をかけ続けていた。 少年の声と表情はどんどん明るくなっていった。そして彼らは深い満足感を抱いて家路についた。 ただそれだけの話である。だがその少年が、学校には自分の存在を認めてくれる仲間がいることを実感したことは間違いない。

19 卒業生が「山中湖」横断を断念
翌、平成16年の3月、カヌー第1期の卒業生6人を誘って、富士五湖最大の「山中湖」の横断に挑戦した。 実は、最初の年にカヌー作りに参加したのだが事情があってキャンプに参加できなかった卒業生が何人かいた。 彼らをいつか連れて行くことは私の宿題になっていたのだ。当日は、引率者として、私の外に、島崎さんと、 新田さんと保護者が1名参加した。久しぶりの顔合わせであった。 高校生もいればアルバイト中の者もいた。大人びた彼らは、3艇のカヌーに分乗し、 折からの風雨をものともせずに湖に乗り出した。だが、観光船の引き起こす荒波に危険を感じ途中で引き返した。 何しろ水温が低すぎて、万が一転覆したら、心臓麻痺を起こす恐れがあったからである。 またまた、宿題は先送りになってしまった。彼らとのつきあいもまだまだ続きそうである。

20 新入生が「山中湖」横断に成功
すっかりカヌーの季節になった7月、再度「山中湖」へ挑戦することにしメンバーを募集した。 新入生を中心に12名の生徒が応募してきた。引率は私と島崎さんと新田さんのほかに教員が2名参加した。 今回は水温も高いので転覆しても大丈夫である。慣れない3年生の男子グループの1艇が途中で転覆したが、 手ぬかりなく、貸しボートで随行していた教員が生徒を助け上げて、再度挑戦させた。 このようにして最後には全員が横断に成功した。新入生たちも、 本校がとてつもなく楽しいところだと実感したに違いない。

21 大雨の中「精進湖」横断に成功
同じく7月、今度は富士五湖最小の「精進湖」に挑戦した。14人の参加応募があった。 1年生が多く、その保護者たちが5人ほど車で参加してくれた。 今回は、テレビ局が随行して貸しボートにのって生徒たちの姿を追いかけた。 8月の放映のための材料とするためであった。途中からにわか雨に襲われたが、気温もさほど下がらず、 生徒たちは雨などまったく苦にせずに全員が横断を楽しんだ。頼もしい生徒たちだ。

22 ついに「富士五湖」完全制覇
そして8月、いよいよ最後の「河口湖」に挑戦した。 夏休み中にカヌー製作に参加した生徒を中心に14名の応募があった。 PTAの役員を中心に保護者も10名近くがお手伝いに参加してくれた。 河口湖町役場のご厚意で、事前に町の所有する漕艇場の使用許可を得ることが出来た。 「富士五湖横断達成」とあって、かねてから作製の様子や他の湖の横断の様子を撮り続けてきたフジテレビの取材も、 ヘリコプターを飛ばすほどの力の入れようだった。河口湖は山中湖に次ぐ大きさで、観光船やモーターボートも多く、 高い波が立つ。そこで危険の少ない岸辺よりのコースを慎重に選定した。そして青空の下、 全員が交代で約1キロメートルの横断をすることが出来た。 昼には、保護者が腕をふるった焼きそばをみんなで食べ、最後に達成を祝って全員で万歳をした。 3年がかりの冒険的イベントはここに無事に終了となったのである。

23 荒れた学校の奇跡的な変容
私が着任したときには、本校では毎日のように問題行動が続発していた。 しかし今では劇的に変容し、まるで別の学校のように落ち着きのある学校になった。 いろいろな人から「どうして多摩中学校はそんなに良くなったのですか。」と聞かれる。 理由は沢山考えられるが、一言で言えば、教職員と保護者が心を一つにして必死になって学校作りに取り組んだ成果であるということだ。 その結果、生徒と教職員が信頼関係で結ばれるような学校になったのだ。 その具体的な取り組み内容を数えてみるとたぶん10以上にもなる。 だが、その中で私がもっとも力を注いだ取り組みの一つがこの「手作りカヌーで富士五湖横断に挑戦」だった。 いつでも、だれでも、気軽に参加でき、大きな達成感を得ることができるイベント。それがカヌー作りである。 しかも、希望する生徒がいればすぐに湖横断を実行する。それはたぶん日本中探してもめったに経験できないような大冒険だ。 この実践の存在が、本校の生徒が学校に深い信頼感を持つことの出来る一つのきっかけになっているのではないだろうか。 この3年間、カヌー作りとそれを使った富士五湖横断の取り組みには、沢山の生徒が参加し、 それぞれの生徒たちに数々のドラマをもたらしてくれた。次に私が目論んでいるのは、学校前から多摩川を下り、 羽田空港沖の東京湾までの40キロメートルの川下りへ挑戦することである。 成功したら生徒の達成感はさらに大きいに違いない。


最後までお読み頂きありがとうございました。