中学生には早過ぎる100冊 おやじ

ここ「中学生には早過ぎる100冊」は、中学生にはまだチョイ早いが大人には面白い、
大人でなければ話が分からない!、などなど大人が楽しむ本を紹介したいと思います。
ぜひ貴方もお勧めの一冊を紹介してください。



ナンバー 書籍名 著者 コメントなど

最新

リプレイ
(新潮文庫)

ケン・グリムウッド
 生まれ変わって人生をやり直すことができたら・・・そしてあの人ともう一度と巡り会いあの失敗を避けることができたら・・・。
多くの人間が一度は夢見る願望を描いたのだから、ワクワクするほど面白いのは当たり前だ。
だがこの小説は面白いだけにとどまらない。物語に込められた思想が実に深遠なのである。
刻一刻と近づく死は、すべての人間が生まれた瞬間から突き付けられている残酷な運命だ。
そこからの精神的な救済こそ宗教や哲学の存在理由だろう。
この作品のテーマは絶望する魂の救済である。そして娯楽性と哲学性が質の高いレベルで融合された作品であると感じた。
私は一気に読み終えて感銘し、後日再読してまた感動を深めた。私の生涯読書エンターテイメント部門のベスト3に入れたい。
こういう作品を書く人にこそノーベル文学賞をあげたいものだ。

ペンネーム「詩遊児」さんからの紹介。(2008.02.14)
ナンバー 書籍名 著者 コメントなど

001

源氏物語

紫 式部
 とてつもなく面白かった。
読みながら、千年前の人間も今の私たちの感受性とまっ たく同じなんだとしみじみ思い知らされた。
現代トレンディドラマとしても十分に通用する異性への愛、嫉妬、憎悪等の悲喜劇がドラマチックに
描かれているだけではない。
絵画、和歌、楽器、歌、踊り、衣装、作庭等々の文化論の深さと広さは驚嘆するばかりだ。
   私は通勤時間を利用して読み終えるまでに数ヶ月をかけた。
インターネットの「青空文庫」(古今東西の名作が無料で読めるこのシステムは素晴らしい!)からダウンロードして
愛用の電子手帳(シャープのパピルスN8100。このカラー手帳は使える!)に移し、電車の中で読み続けたのである。
私の読んだのは与謝野晶子訳だが、谷崎潤一郎、瀬戸内寂聴、円地文子らの現代語訳はもっと読みやすいらしい。
  ところで読み終えた私は、かなりの欲求不満に陥ってしまっている。
なぜなら、恋人とその親友の二人の男性との三角関係に思い悩み、宇治川への投身自殺まで考える美しいヒロインの 悲劇のてん末が展開される一番はらはらドキドキする場面で、突然この小説は終わってしまっているからだ。
「そんなバカな! ここで終わるとは何かの間違いではないか。絶対納得できない。
もし続きが存在しないなら自分で書いちゃうぞ。」と本気で思いこんだ。
そこで「日本文学大事典」(新潮社 全8巻)で調べたところ、やっぱりありましたね。何時代か知らないが、
作品の結末に納得できない私のような人間が、自分で書いてしまったらしい。うーん、一刻も早くそれを読みたい。
実は「源氏物語」の研究で有名な本居宣長も途中の物足りない場面を補足するために勝手に作った段落が存在するという。
うーんそれも読みたい!
とにかく「源氏物語」とは興味の尽きることがない偉大なる小説なのである。
しかし、世界に誇るこの名作は、中学生や高校生が読んでも本当の面白さは理解できないだろう。
人生経験を積んで、人情の機微が十分に分かる年になってから読むべきだと思う。


ペンネーム「詩遊児」さんからの紹介。
詩遊児さんは「酒と本を愛する全共闘世代の国語教師」だそうです。
(2007.03.27)

002

憂国

三島 由紀夫
 三島由紀夫はノーベル賞を受賞してもおかしくない実力の小説家だったと私は思う。
割腹自殺を遂げたのは昭和45年11月25日。大学で国文学研究会に所属していた私は、その衝撃の一日をまだ色濃く記憶している。
自衛隊のバルコニーで演説をしている三島の姿と怒声は、今もありありと思い描くこと
ができる。翌朝の朝日新聞第一面の写真には、三島の生首が転がっていた。
あの頃に比べると今の時代はぬるま湯のように平和だとつくづく思う。
そのころ学生運動に無関心ではいられなかった私にとっては、三島は思想上の「敵」であり、大江健三郎は「同志」だった。
街の居酒屋で太宰治の評価を巡ってノンポリ学生とケンカしたこともあった。「今、行動しようとしない者は、無知か不能か卑怯のいずれかだ。」と言うのが私の口癖だった。
本当に純粋で愚かで未熟な青春だった。文学や政治そのものに関心があるのではなく、そのようなものに熱くかかわっている自分の姿が好きだったのであろう。
 35年後の今、ゆっくりと読み返してみたいと思う作家は大江健三郎ではなく三島由紀夫であるのはなぜだろうか。
中でも「憂国」は三島の最大の傑作だと私は思う。人間の究極の死に方が描かれていて美しくかつ恐ろしい。
人生観のまだ定まらない青少年は絶対に読んではいけない一冊である。


ペンネーム「詩遊児」さんからの紹介。(2007.03.27)

003

セブンティーン

大江 健三郎
 大江健三郎の作品の中に、特殊な理由から私たちが目にすることができないものが二つある。一つは「夜よ、ゆるやかに歩め」である。
なぜか本人が自分の著作から排除した作品である。大江の愛読者だった私は、大学のころにこの本を図書館から借りて読んだ。大江らしからぬ淡々とした文体に違和感を覚えた。要するに駄作だったのだ。
確かに、これは抹殺したくなる作品だったのだろうと憶測している。
 もう一つの幻の作品は「政治少年死す(セブンティーン第二部)」である。17歳の少年が社会党の浅沼委員長を演説の壇上で刺殺した事件をモデルとして書かれたもので、その表現が右翼を激怒させたという。
当時は、深沢七郎の「風流夢譚」が皇室を侮蔑しているとして、憤激した愛国党の少年が、中央公論社の社長宅を襲い、お手伝いさんを刺殺するという事件も起こっていた。
「政治少年死す」も右翼から激しく批判され、以来私たちは読めなくなったのである。
 というわけで、今私たちが読める問題作として「セブンティーン」があるわけだ。
17歳を過ぎてから読むといいのかもしれない。


ペンネーム「詩遊児」さんからの紹介。(2007.03.27)

004

クロイツェル・ソナタ

トルストイ
 文学が音楽を嫉妬した作品というべきか。偉大なるヒューマニストであるトルストイがベートーベンの名曲「クロイツェル」を官能的すぎるとして非難した小説である。
妻への愛が嫉妬に変わり、ついに殺人にまで及んでしまうという、小説としては楽しめる作品である。だが読み終えて私はベートーベンの「クロイツェル」の方へ関心が移ってしまった。それほど非難されるような堕落した音楽とはどういうものなのかと、早速CDを買いに街へ走ったのであった。聴いてみた。
うーん、なるほど。偉大なる禁欲者トルストイの言うとおりでした。名曲「クロイツェル」の妖しく官能的な響きを私は目のくらむような思いで聴いたのだった。
そしてかくも感受性の鋭いトルストイとはすごい人なのだと改めて感心するばかりであった。


ペンネーム「詩遊児」さんからの紹介。(2007.03.27)

005

蝉時雨
(せみしぐれ)

藤沢 周平
 NHKで原作に忠実にドラマ化された。
それを見て、その情緒あふれた映像の醸し出す世界にしびれた人が多かったのではないだろうか。私もその一人である。
物語自体は単純で淡々と展開するのだが、人物たちの微妙な心理の綾がずしりと伝わってくるのはどうわけだろう。 役者の魅力か、原作の持つ主題の力か、監督の演出の上手さか?
 この感覚は「北の国から」に似ている。とにかく心を癒される時代劇である。読むベし。見るべし。


ペンネーム「詩遊児」さんからの紹介。(2007.03.29)

006

砂の女

安部 公房
 蟻地獄のような砂の底に閉じ込められて見知らぬ女と暮らす・・・果たして主人公は生還できるのか?
 世界文学史に名を連ねるべき傑作だと私は思う。この小説が世界中に翻訳されて多くの人に愛読されているというのも当然だろう。
奇抜で魅力的な場面設定や必然性のある物語の展開など、何から何まで完璧である。カフカの「変身」よりはるかに上質で面白い。
中学生でも読めないことはないが、この小説が啓示する人生の不条理感に共鳴するためにはもう少し経験を積まないとダメだろう。 高校生以上にお勧めである。


ペンネーム「詩遊児」さんからの紹介。(2007.03.29)

007

赤ひげ診療譚

山本 周五郎
 山本周五郎は自分の作品に登場する貧しく愚かな庶民たちを非難も礼讚もしない。
しかしただありのままに語る作者(話者)の視線の温かさがこの上なく心地よい。
さらに作品の底に流れるヒューマニズムは非常に奥が深い。
さりげない筆致で人情社会を描いているようでいて、時折ぞっとするような人生の深淵を垣間見せるのだ。
本作品は、江戸時代に貧しい人々に治療を施した小石川療養所の若い医者の変容を感動的に描いた物語である。
しかし中学生に薦めるにはやや躊躇する。人間の「深淵」の刺激が強すぎることを心配してしまうからだ。
「季節のない街」「青べか物語」も同様で、私は大好きなのだが、やはり中学生には3年ほど早いかなあと思ってしまうのである。
だがいつかは必ず読んでほしい作品群である。黒澤明監督がこの作家の作品を好んで映画化したことも十分納得できるのである。


ペンネーム「詩遊児」さんからの紹介。(2007.04.05)

008

人間失格

太宰 治
 太宰治の一部の小説とつげ義春の漫画「無能の人」には共通する魅力的な空気があることに気が付いた。
自堕落なダメ親父の呆れた自己肯定感がほのぼのと漂っているのである。
そしてそれは何らかの意味で心の傷を沢山負っている親父世代の共感を呼ぶ。
さて「人間失格」は相応に人生経験を積んだ人間が読めば面白い小説であろう。
「欺瞞」「背徳」「怯惰」「堕落」などの「悪徳」に満ちあふれ、酒や薬や女に溺れ最後は廃人のように生きる男の生き様は、
ほぼ作者の生涯と重なるがゆえに読ませる力を倍増させる。ところが私には全く理解が出来ないことがある。
それはなぜ本書が中高生向けの多くの読書推薦リストに名を連ねているのかということである。
本書の主人公が体現している悪徳と矛盾に満ちた人生観を青少年に伝える意義が何なのか、私にはさっぱりわからないのである。
リストアップしている中・高の国語教師たちはこの作品の名声の高さに惑わされているのではないか。
東京都の某区の教育委員会の読書推薦リストにも載っているがこれも何かの間違いではないか。
この小説は文学に目覚めた早熟な中学生が親に隠れてそっと読むようなリストにこそふさわしいのではないか。
うーむ、それともこういう人生を送ってはならないという反面教師としての効果を期待しているのだろうか。
だれか教えてほしいものだ。


ペンネーム「詩遊児」さんからの紹介。(2007.04.05)

009

悪魔の辞典

アンブロウズ・ビアス
 国語辞典の形を借りて人生の真実を強烈な皮肉を込めて表現した。
まさに悪魔の言葉で書かれた本と言うべきだろう。だから凡人は読まない方がいいと思う。
一つ一つの項目の解説は正鵠を射ており、目からうろこが落ちるような思いがする。
一気に人生の風景が変化する感じとでも言えようか。
これに比べるとあの近代日本文学の天才と謳われた芥川龍之介の「侏儒の言葉」でさえ、とろくて物足りない感じがするほどだ。
本書を国語や道徳の授業で教材として扱ったら刺激的で面白いだろうと思うのだが、普通の中学生には毒が強すぎるだろう。
だが思春期のどこかで、こういう逆説的な人間観を知ってショックを受けておくことは有意義だとも思う。
なおビアスの短編集もとても怪しくて興味深い。


ペンネーム「詩遊児」さんからの紹介。(2007.05.18)

010

明暗

夏目 漱石
 近代日本の偉大な知識人かつ啓蒙家と言えば福沢諭吉と夏目漱石の二人に留めをさす。
その知識の量と考察の深さは圧倒的に秀でている。
だから私は二人ともお札の肖像画に登場していることに心から賛同する。
数年前のことだが、漱石のお孫さんにあたる松岡陽子さんが来日したことがあった。
日本人なのに来日したというのは変な話だが、実は彼女は日本の大学を卒業したあと渡米して、
文学の研究を続けて学者となり、アメリカ人の学者と結婚し、
今でもオレゴン大学(だったかな)の名誉教授として日本文学を教えているという人物なのであった。
ひょんな縁でその方と親しく話をする機会を得た。相当にお年を召されてはいるが、話の内容は明晰だった。
「漱石の作品では何が一番好きですか」と漱石マニアの私が尋ねると迷わず「行人ですね」と答えた。
私はなるほどと思った。人間のエゴイズムを深く掘り下げた漱石の作品群の中では異彩を放っていたからだ。
何しろ「自分の妻と弟の関係を疑った兄が、真相を知るために妻と弟が宿に一泊する機会を作る」
などというスリリングな設定は他の作品には見られない過激さだ。
「行人」を読んだとき私は、芥川龍之介や森田草平などの俊英が多数出入りしていたときの漱石の実体験でもあるのだろうか
などと下司の勘ぐりをしたほどだった(間違いない!)。さて本題である。
私は「明暗」が一番面白いと思う。作品そのものばかりではなく、絶筆というところに大いに意味があるのだ。
物語がちょうど佳境に入ったところで漱石は伊豆の療養地で胃潰瘍で死んでしまうのだ(49歳。若い!)。
読者は源氏物語と同じような欲求不満に陥る。私は続きを自分で書こうと決意し、いろいろ構想を練っていた。
ところがある日本屋で「続明暗」を見つけたのである。もちろん筆者は漱石ではない。
私はすぐに買って読んだ。感銘した。納得した。うれしかった。この感動的体験は本好きな者だけの特権ではないか。


ペンネーム「詩遊児」さんからの紹介。(2007.05.18)

011

名将言行録

 
 戦国時代から江戸時代にかけて活躍した192人の武将たちの英雄的な言葉や行動を集大成した偉大な著作である。
原典はそれぞれの家に遺された家伝書であるから脚色も創作も混じっているだろう。
それぞれの家に伝わる祖先の英雄物語集と言うべきか。
それにしても信玄や信長らの合理的・科学的な判断力や勇気あふれる実行力が生き生きとした描かれており、その生き方は大いに参考になる。
昨今、巷に溢れている処世術の本には本書を種本にしているものが少なくないそうだ。
だったら最初からこちらを読んだ方が手っ取り早い。 ただし江戸末期に編まれた本なので文体は当然文語である。
だから普通の中学生が読むには難しいだろう。
ところで私が一番興味深く読んだのは秀吉の「朝鮮出兵」の日本軍の奮闘ぶりを描いたくだりであった。
強大な明軍と闘う日本の武将たちの姿が鮮やかに浮かんできて、戦いの天才秀吉の世界征服の野望が伝わってくる思いがした。
無謀な侵略戦争として日本史の中ではタブーに近い一端に触れて不思議な気分を味わったものだ。
岩波文庫で全8巻だが現在は絶版中である。 抄訳の現代語版が数社から出ている。人生のどこかで手にとってみたい本だと思う。
ちなみに私は6巻の途中でよむことを中断している。
あまりにも面白いので読み終えるのがもったいなくなったからだ。
楽しみを後にとっておきたくなるような数少ない本の一つである。


ペンネーム「詩遊児」さんからの紹介。(2007.05.24)

012

1984年

ジョージ・オーウエル
 「人類の平等と永遠の平和国家の建設」という美しい理想の名のもとに
革命を目指した若者たちが殺し合いを演じた時代があった。
わが日本の話である。
同様に美しい言葉で彩られた地獄の国家が地球上のあちこちで作られては自己崩壊した時代があった。
私を含めて当時の多くの人々は虚飾の理論の罠にはまっていたのだと思う。それがつい昨日のことのように思い出される。
本書はその「ユートピア」が実は人間性を弾圧し抹殺する恐ろしい社会であることを小説の形で暴露した本である。
これが書かれたのは1949年であり私が読んだのは1975年ごろだった。
ユートピアを本気で目指した若者たちが様々な挫折を繰り返しつつあったころだ。
同じ作家の「動物農場」も同一テーマの書であるが、この2冊を読んだときの大きな衝撃を忘れることはできない。
戦争に関する本と同様に私たちはこのような本を読み継ぐ必要があると思う。人類が同じ過ちを繰り返さないためにである。


ペンネーム「詩遊児」さんからの紹介。(2007.05.24)

013

知られざる傑作

バルザック
 読んでいるさなかに魂が揺さぶられるような感動を覚える本というのはざらにあるものではない。
これは多くの人々にとってそのような稀有な小説の一つではないだろうか。
何しろ絵画芸術の本質が何かということを見事に表現しきっているのだ。
美術をも超えてしまう言語の力にただただ驚嘆するばかりである。フランス語で読めたらもっといいのだろうにとさえ思った。
私は絵を観るのは好きだが、展覧会にいくたびに芸術の本質がわからなくなりそうな作品にぶつかる。
特にモダンアートというやつがわからない。そういうときにこの小説を思い出すのである。
サマセット・モームは著書「世界の十大小説」の中でバルザックを「偉大な天才作家」と褒めたたえた。同感である。
中学生には難しいだろうが、美術に関心のある生徒だったら理解できるかもしれない。


ペンネーム「詩遊児」さんからの紹介。(2007.05.29)

014

葉隠(はがくれ)

山本常朝
 「武士道とは死ぬことと見つけたり」という言葉で有名なこの本は、主君のために命を軽々と捨ててしまうような、
封建制度の権化とも言うべき危ない本ではないかと思われがちだ。私も最初はそのような先入観を持っていた。
だが読んでみると、他人との上手な交際の仕方など極めて良識的な処世術を述べた本だったので拍子抜けがした。
私が読んだのは社会人になってからであり、日常的に「よりよい生き方とはどういうものか」などと考え詰めることも多かったので、
この本の主題ともいうべき「常に死を意識(覚悟)していれば悔いのない立派な生き方ができる」という思想も十分納得ができた。
昨日松岡大臣が自殺したときに、石原慎太郎知事が「彼もまた侍だと思った。」というコメントを出していたが、
実は私も自殺のニュースを聞いた瞬間「葉隠」を思い出していたのである。
大変危険な発想だという批判を受けるのを避けるために付け加えるが、私は命を簡単に捨てるという行為には絶対に賛同しない。
もし私が大臣の立場だったら辞任して竹林にこもる道を選ぶ。だが一方で「自らの死をもって危機的な状況の解決を図る」という武士の文化が、
その善悪は別として確かに我が国の歴史には存在していたことを知っておくことは無駄ではないと思う。


ペンネーム「詩遊児」さんからの紹介。(2007.05.29)

015

インディアスの破壊に関する簡潔な報告

ラス・カサス
 「インカ帝国などで知られる南アメリカのアンデス文明が16世紀に突然消滅したのはなぜか?」
それはヨーロッパ人による身の毛がよだつような大虐殺が原因だった。
著者は、コロンブス以後にスペイン人たちに同行してアメリカにやってきた宣教師であるが、目撃した蛮行を国王に訴えるためにこの文章を書いたのだった。
この本を読むと、かつて私たちが学校で習った歴史観が「勝者」側からのみ形成された不適切なものであることに気付く。
この本を読んだ人はその日から「コロンブスはアメリカ大陸を発見した」などと簡単には言えなくなるだろう。
即ちコロンブスはすでに立派な文明が存在していたアメリカ大陸に「到達した」にすぎないと言うのが正しいのだ。
また読者は、当時キリスト教の宣教師たちが侵略と虐殺の手先として絶大な働きをしていた実態を知って、
宗教が人類に大きな不幸をもたらす側面があることに愕然とすることだろう。
つまりこの本は否応なく読者に歴史観と宗教観の二つについて再検討を迫る貴重な文献なのだ。
例えば私などは、徳川幕府がキリスト教を弾圧し、鎖国に走ったという史実についても、一概に否定できないように思われてくる。
若いころ私は、社会科の同僚たちにもこの本を読むことを勧め、教科書の記述の「アメリカ大陸発見」という概念を生徒たちに与えないように忠告したものだったが、まったく反響はなかった。
自分が培ってきた認識を変革することは教員ならずとも難しいということだろうか。
ちなみに最近の歴史教科書からは「発見」の文字は消えている。


ペンネーム「詩遊児」さんからの紹介。(2007.06.01)

016

南京の真実

ジョン・ラーベ
 虐殺と言えば「南京大虐殺」について書かねばなるまい。これについては戦後60年間に渡って囂(かまびす)しい論争が続いてきたが、
未だに真相は不明である。これまで私もいろいろな本を読んできたが、信頼できそうな本はなかなか見つからない。
だがどうやら本書だけはかなり信憑性がありそうだ。なぜかと言えば、著者は事件当時に南京市内に居住し続け、第三者の立場で見聞した一部始終を記録にとどめていた人物だからである。
彼はドイツの外交官という特権を活用して、進攻してきた日本軍からの略奪や弾圧から市民を守るために尽力した英雄的行為で知られる。
本書では侵略側の日本軍の蛮行を批判し、安全区を作って民衆を救った状況が詳細に述べられている。
だから本書は「南京大虐殺」を強く批判する側の貴重な根拠資料とされているわけだ。
しかし私はこの本を読み終えて非常に大きな疑問が残った。
それは、本書が書かれた意図とは反対に、この本は読者に対して「世間に言われているような大虐殺は実際は存在しなかった」と思わせる力を持っているということである。
同盟国ドイツの外交官として大きな権限を持っていた彼は市内を車で走りまわって日本軍や民衆の様子を視察しその様子を具体的に書いた。
しかしそこには、世に言われているような「大虐殺」の描写はない。
それどころか、街の中で不法行為を働こうとした兵隊を厳しく監督する日本軍の憲兵隊の姿が印象的に描かれているほどである。
戦争であるから当然壮絶な殺しあいがあったことは間違いないだろうが基本的な秩序は維持されていたように思えるのだ。
どう読んでも現在喧伝されているような大虐殺があった様子は読みとれないのである。
彼は当時25万人の市民がいたと書いており、彼がそれらの人々の命を救ったと称賛されているのである。
だから「30万人」が殺されたとする中国の主張はとうてい成立のしようがないのである。
それとも南京市内に住んでいた彼の知らない周辺地域で、当時市内にいた人口以上の「30万人」が虐殺されたということがあったのだろうか。そんなことが果たして有り得るのだろうか。
中国が主張する日本批判を疑わずにそのまま授業で教えている教員たちには是非この本を読んで判断してほしいものだ。私たち日本人が、過去の過ちを潔く反省するためには、より真実に近い認識を持つ必要がある。と同時に、世界に冠たる平和と
長寿の社会を維持している我が国(もちろんまだまだ改革の必要はあるが)に生きていることへの誇りを失わないためにも、本書は現代日本人にとって必読と言うべきかも知れない。


ペンネーム「詩遊児」さんからの紹介。(2007.06.01)

017

賭博者

ドストエフスキー
 この偉大な作家に熱中したことがある。
高校から大学の間の一時期のことだ。中学生の時に「罪と罰」だけは読んではいたが、ある日突然、熱病のようにとりつかれて当時翻訳されていた全小説を読み通したのであった。
物語の中で延々と語られる登場人物の心情や人間観を、当時の私がどこまで理解し得たのか、今となっては記憶の底に沈んだままで定かではない。
だが「悪霊」「白痴」「カラマーゾフの兄弟」などの作品を、まるでマラソンや登山の苦行難行のように熱心に読み続けたことを覚えている。
たぶん当時はこの作家を神のように崇めていたのだろう。ドストエフスキー教の信者だったと言うべきか。
こんな息苦しい観念論がぎゅうぎゅうと詰め込まれた作品は、今後二度と読むことはないだろうし、苦行を強いるようなので他人にも推薦しにくい。
ただしこの「賭博者」だけは例外で実に興味深く読んだ本だった。私は貧乏学生のときに、アルバイトで稼いだ生活費をパチンコで使い果たして自己嫌悪に陥ったことがあった。
ちょうどその時にこの小説を読んだのだが衝撃的だった。主人公は、まさに阿呆な自分のことだった。
主人公と同じように自分がどうしようもなく愚かで弱い人間であることを知らされれると同時に、神様のように思っていたドストエフスキーが私など足元に及ばないほどの愚か者であることを知って安心した。
つまりこの小説は作者の実体験に基づくものだったのだ。以来私は、下らぬ賭け事に財産を投じるような人生だけは送っていない。
それはこの本のおかげであるような気もするのだ。

ペンネーム「詩遊児」さんからの紹介。(2007.06.11)

018

ねじまき鳥クロニクル

村上春樹
 不思議な意識世界を創造したなかなかの作品だと思う。
はっきり記憶に刻まれるようなあらすじはない。しかし不思議な魅力に満ちあふれた文体だ。特に比喩の使い方に感服した。
この作品だけで中学校の国語の良い教材が作れると、私は触手が動く思いがした。文芸の名に値する作品だと思う。
そして国際的に広く愛読者がいるということに納得したのだった。日本人で次にノーベル文学賞をもらうのはこの人ではないだろうか。
その日に慌てないために、とりあえずこの一冊を読んでおくことを勧めたい。

ペンネーム「詩遊児」さんからの紹介。(2007.06.11)

019

論語

 江戸時代(たぶん)以降、日本の子供はこの偉大な書物の名言を暗唱することにより、人生についての大きな啓発を受けながら育ってきた。
言わば「論語」とは国民的な道徳教科書だったのだ。
ところで、幕末から明治初期にかけて来日した欧米諸国の知識人たちは数多くの日本見聞録を残した。
それらを読むと彼らが共通して日本人を絶賛していることがあることに気付く。
それは例えば謙虚さ、礼儀正しさ、正直さ、思いやりなどである。当時の欧米の上流階級が子弟に苦労して身につけさせようと努力している道徳心を、日本人が一般庶民に至るまで当たり前のように身につけていることに驚嘆しているのだ。
例えば日本アルプスの名付け親として知られるイギリスの若い宣教師ウィストンは、その著書「日本アルプス登攀記(岩波文庫)」の中で、北アルプス(飛騨山脈と言うべきだ!)の奥深い山小屋で出会った番人の老人の、
礼儀正しさと奥ゆかしさに感動して「このような真の意味でのジェントルマンには祖国イギリスでも出会ったことがない」と褒め讃えている。
また彼らは、日本では子供たちや一般庶民がごく普通に本を読んでいる姿に感心している。
当時の日本は寺子屋という教育システムにより識字率は世界一だったと言われているのだ。
この二つの「奇跡」の源が「論語」であったことは間違いない。
「論語」の学習を通して我が日本人は漢字を覚え、かつ道徳的概念を骨肉としていったのである。
現在「論語」は、全国の中学校・高等学校の国語の授業を通して、一生読みたくないという決意を生徒たちに植え付けているわけだが、
私は全編を通読することを国民の義務としたい。
選挙権も憲法改正の国民投票権も婚姻・飲酒・喫煙もすべて、これを通読したと言う証明書がなければ許可しないようにしたい。
私が総理大臣だったらすぐにそういう法律を作りたいものだがいかがなものでしょうか。


ペンネーム「詩遊児」さんからの紹介。(2007.06.12)

020

菜根譚

洪応明
 人間のより良い生き方の指針という意味では先に上げた「論語」も「葉隠」も優れた処世術の書であると言ってよいだろう。
ではそれらに匹敵するような、読む価値の高い処世術の本は他にないのかといえば実は沢山あるのだ。
17世紀の明の時代に中国で書かれたこの「菜根譚」はその代表格と言うべき大変優れた書物だと思う。
一言で説明すると「論語」から禅問答の要素を取り除いた「処世術」の本である。
国民が成人として認証されるための必読書とすべきなのはもしかしたら「論語」ではなくこちらの方がふさわしいかもしれない。
現代の世にリーダーとして活躍する人々の中には本書を座右に置く方が多いらしく、関連書が本屋に多数並んでいる。
ところで昨今「教育再生会議」で徳育の授業の強化を主張しているが、国民みんなの課題をなんでもかんでも簡単に学校教育に委ねてしまおうとするのは国家衰退の前兆ではないか。
「責任者、前に出てこい。眼鏡を外して歯を食いしばれ。」と私は言いたい。
例えば家庭で親子で本書を通読することを義務づけた方が道徳教的成果ははるかに高いのではないか。
そしてついでに政治家や官僚になるための条件として本書の暗唱を義務づけるがよい。
そうしたら彼らの汚職や不祥事がぐんと減るのではないか。


ペンネーム「詩遊児」さんからの紹介。(2007.06.13)

021

人間交際術

クニッゲ
 万人を納得させる処世術の書は何かと問われら本書を挙げるべきだろう。
200年にわたるドイツのベストセラーであるこの本は、夫婦、友達、異世代、女性、金持ち、貴族、
貧しい人々などの様々な相手や状況に応じて上手に交際していく方法を実に分かりやすく解説したものである。
読んでいると圧倒されるほどの説得力を感じる。
周囲の人々に心地よい思いをさせるためのそれらの礼儀作法の数々を身につければ、どんな読者でも自分がたちまち万人に愛される人格者になれそうな気がしてくるはずだ。
ただしこの本からは「論語」や「葉隠」や「菜根譚」の底流にあるような「哲学的倫理的美的人生観(なんだかよくわからないが)」は伝わってこない。つまりこれは「マナー」の本であって「モラル」の本ではないのである。
しかし実用性に徹している分だけ即効性が高い。
例えば学校を卒業していざ社会人となったときに周囲の人々との付き合いに悩むようなことがあった場合は、迷わず本屋に走って本書を買ってくるがよい。必ずや救いの書となることだろう。
もちろん中学生はこんな本を読んではならない。自分自身を飼い馴らして生きるにはまだまだ早過ぎるからだ。


ペンネーム「詩遊児」さんからの紹介。(2007.06.13)

022

ミカドの肖像

猪瀬直樹
 猪瀬直樹の業績は尊敬に値すると言えよう。
天文学的な額の国家予算を平然と無駄遣いしている官僚たちの実態を、各種統計資料を根拠にして鋭く追究する姿は爽快である。
従来マスコミや評論家や経済学者たちが黙認してきた(気付かなかった?)官僚の愚行を理詰めで批判する猪瀬の著述はまことに称賛に値すると思う。
非力な一国民としては遠くから喝采を送ることしかできないのだが、今日のニュースによると東京都の副知事就任を要請されたとのこと、慶賀である。
東京都の財政の向上に大きく貢献してくれるのではないかと期待している。
本書はそのような著者の若き日の名著である。読者を啓蒙する力の有無が優れた著作の一条件であるならば、この本は充分にそれを充たしている。
例えば、かつて野心に満ちた一人の大学生が、旧皇族の所有する土地を詐欺師のような手口で次々と手に入れていく道筋を解き明かしたくだりは圧巻である。
彼はそうして手に入れた軽井沢の土地にホテルを建てた。そのホテルの名前は「プリンス」。経歴そのままである。
そうして財閥「西武」は繁栄の歴史を刻み始めたのだった。
読み終えて、若き創始者堤康二郎の天才的な頭脳と度胸に驚嘆するとともに、西武ブランドに対しては否応なく嫌悪感を抱いてしまうのは私だけではあるまい。
日本人にとって近そうで遠い「天皇制」の一側面について目を開かされる一冊である。


ペンネーム「詩遊児」さんからの紹介。(2007.06.14)

023

人国記
(岩波文庫)
 室町時代のころに書かれた軍政学書。武田信玄が愛読していたと伝えられている。
感想を一言で言えば「言語道断だが痛快」である。
当時の66諸国の住人の気風を解説しているのだが、その決め付け方がすさまじい。いくつか例を挙げると、常陸(ひたち:今の茨城県)の人間は強盗や辻切りをして捕まっても恥とは思わない。
相模(さがみ:今の神奈川県)の人間は栄える者になびき、8〜9割は酒色を好む。飛騨(ひだ:今の岐阜県北部)の人間の9割は広い日本でもこれ以上ないと思われる愚か者である。
下野(しもつけ:今の栃木県)の人間は腹黒く傍若無人で日ごろは辻切り、強盗のたぐいの仕事をしている。
美作(みまさか:今の岡山県東北部)の人間の9割は卑劣で欲張りで、人から借りたものを返さないことを手柄のように思う。
というような偏見に満ちた悪口雑言に溢れた本なのである。
言語道断であると言いたいところだが、自分に関係のない土地の人間の悪口を聞くことは全く苦にはならないものだ。
友人たちと酒を酌み交わしながら、互いの出身地の該当ページを読み上げたら一堂爆笑に包まれることは間違いない。(悪趣味だが。)
さて、この本が何故軍政学書なのかというと、諸国の風土や人間の実情を知った上で戦いに臨み、支配下においたら人民をよき方向に改変していくための資料として書かれたのだ。
その著者の真剣な姿勢が貫かれた真面目な書物なのだがやっぱり可笑しい。ページをめくるごとに笑わずにはいられないのである。
ところでこの本では、ある国だけが絶賛されているので、著者はその地方の出身だろうと推測されている。そんなものだろうと思う。

ペンネーム「詩遊児」さんからの紹介。(2007.06.27)

024

福翁自伝
(岩波文庫)

福澤諭吉
 ある少年更正施設で徹底的に「偉人の伝記」を読ませて大きな成果を上げたと聞いたことがある。
さもあらん。「100の説教より1冊の伝記」である。「5回の道徳の授業より1冊の伝記」である。
ところでそれらの伝記の中から1冊だけ選べと言われたら私は断然「福翁自伝」を推す。
幕末の「激動の時代」に混乱状況の中、びくともせずに理性的判断を貫いて生き抜いた日本人だと思う。
もし彼が日本の歴史に存在していなかったら私たち日本人はもっと無知蒙昧度の高い社会を形成していたことだろう。
今、「微動の時代」にぬるま湯の中であたふたしているすべての日本人にお勧めしたい本である。

ペンネーム「詩遊児」さんからの紹介。(2007.06.29)

025

雨夜譚(あまよがたり)
(岩波文庫)

渋沢栄一
 今、自伝を2冊選べと言われたら、「福翁自伝」とともにこれを推薦する。
幕末の「激動の時代」にあって、渋沢栄一は農民であることに飽き足らず、学問と武芸に励み、江戸に出て倒幕運動に加わった。
ところが奇異な運命で徳川御三卿の一つである一橋家に仕えると、たちまちのうちに才覚を発揮し、ついには当主慶喜(後に15代将軍)の弟である昭武の相談役としてヨーロッパに随行する。
パリ万国博を初めとしてヨーロッパの先進的文化に触れ衝撃を受けた渋沢は、明治維新後に帰国してからは銀行や株式会社など500を超える事業に携わり日本の経済の発達のために計り知れない貢献を果たしたのだった。
一農民が武士の社会に飛び越んでその才能を発揮しながら社会のトップに登り詰めていく過程は「太閤記」の秀吉を思い出させる痛快さがある。
しかし彼がすごいのは決して私利私欲のために生きたのではなかったということだ。彼は、財閥を作って私服を肥やす人生を送らなかったことに誇りを持っている。
埼玉県の生地にある彼の記念館を訪ねると、録音テープで彼の生前の講演を聞くことができるが、その中で「経済と道徳の合一」を説く彼の言葉に嘘はない。
彼は経済活動の傍ら、社会福祉事業にもエネルギーを注いだのだった。偉人の伝記を読むと、彼らが「意志」「才能」「努力」「幸運」の4つのどれもに恵まれていたように私たちは考えがちだが、それは間違っている。
実はそのどれもが私たちは生まれながらにして備えているのだ。
だが、うかうかとして見逃したり使わないで無駄にしているのが凡人なのだと言うべきだろう。
より良い生き方を模索するすべての若者に強く推薦したい一冊である。

ペンネーム「詩遊児」さんからの紹介。(2007.07.01)

026

西郷南州遺訓
(岩波文庫)

 西郷隆盛が生前語った言葉を集めた本である。
本書に述べられた西郷の人間観は完璧と思われるほど理想的なものであり、実際にそれを貫いて「西南の役」で自刃して果てた彼の人間性の崇高さは感服の至りとしか言いようがない。
勝海舟を始めとして維新前後の同時代に活躍した偉人たちも一様に西郷を誉め讃えているところをみると、偽りなく彼は卓越した人物だったのだろう。
「我が子孫に美田を残さず」は名言として人口に膾炙(かいしゃ)されたが、これほど私利私欲から一切無縁であることを貫いた日本人は存在しないのではないか。
(「遺せない」から「遺さない」と言う人間は無数にいるだろうが)。
「例え寝屋での夫婦の会話でさえ、誰に聞かれようと恥じるところはない」と言い切る一点の曇りのない生き方は、俗塵(ぞくじん)にまみれた私などは100回生まれ変わってもできないと思う。

ペンネーム「詩遊児」さんからの紹介。(2007.07.05)

027

斜陽日記

太田静子
 太宰治の「斜陽」は戦後の没落貴族の戦後の一情景を描いて大ベストセラーとなった。
しかし彼の代表作の一つとされるこの作品は、ある若い女性が書き綴った日記をもとにして書かれたのであった。
その日記が本書である。二つを読み比べると、小説に描かれた細部のエピソードは日記の文章をほぼそのまま使ったことがわかる。
現代社会のモラル意識を物差しにしたら許されないのではないだろうか。
だがその一方で、素人(とはいえ太田静子は小説家を志望していて太宰と出会ったのだが)とプロの文章はかくも違うものかと感心させられる。
しかし私たちが関心をもつべきは、太宰がこの日記を入手したいきさつとその後の女性への扱いについてだろう。太宰は日記を入手するために、伊豆で一人で暮らすこの女性をはるばる訪ね、そのまま5日間宿泊した。
やがて女性は太宰の子供を産む。しかし太宰は、日記を入手した後は、数年後に他の女性と心中するまでただの一度もこの母と子に会おうとはしなかったのである。
生活に困窮していた静子は、太宰の死後に届けられた日記を出版したのだった。
うーん、絶句。それにしても世の中には「斜陽」を絶賛し、中・高生に推薦する人が多いのは何故だろうか。
私なら「2冊セットで読んで文学とは何かを考えてみよう」と言いたい。

ペンネーム「詩遊児」さんからの紹介。(2007.07.12)

028

太宰治との愛と死のノート・・雨の玉川心中とその真実・・

山崎富栄
 1948年6月13日の深夜、妻子ある39歳の太宰は近くに住む28歳の独身女性とともに玉川上水に沈んだ。
山崎が太宰に出会ったのはその1年半前のことである。太宰の得意の口説き文句「死ぬ気で恋愛してみないか。一緒に死のう。」を信じた彼女は、太宰を神のように崇拝し、一緒に死ぬ日を夢みて自分の人生のすべてを捧げたのだった。
若くて、美人で、頭がよく、金持ちで(太宰が酒などに遣い果たしてしまったが)、仕事場(自宅から500メートル)の真向かいで一人暮らす山崎は、太宰にとっては理想的な都合のよい愛人であったはずだ。
本書には、一人の男を心の底から尊敬し、尽くし続ける女性の純粋な愛情があふれており、涙がこぼれるほどだ。
太宰がある女子大生と浮気をしていることをぬけぬけと告白したときでさえ、「一緒に死ぬのはお前だよ。」という言葉にうなずくのだ。
(この辺は、浮気を咎められたときの光源氏の言い訳にそっくりである。)
劇団「こまつ座」で「人間合格」を発表した井上ひさしは、「太宰は山崎の日記も小説のネタにしようと考えていたのではないか」という内容のことを述べている。
うーん、さもあらん。絶句。
結局太宰は39歳の若さで死に、自分の自伝的作品群に永遠の命を与えることに成功した。
同時に山崎はこの日記を遺すことにより、美しい純愛を貫いた人生を(例えば私のような読者から)賛美されることになった。
古今東西、この類の恋愛は世の中に満ち満ちているのだろうなあ。
例えば「羽賀なにがし」に純愛を捧げて日記を遺しても誰も読まないだろうから、山崎はずっと幸福だったと言うべきか。

ペンネーム「詩遊児」さんからの紹介。(2007.07.12)

029

ものがたり

北村薫
 恋愛小説の評価を出し合ったら人によって千差万別できりがないことだろう。
同じ小説を誰かが褒めても誰かがけなすだろう。
それは読者の人生(恋愛)経験の差異が作品の受け止め方の違いに直結するからだ。
だから恋愛小説は推薦しにくい。だがこのコーナーは、誰もが自由気ままに本を推薦する場所だからあえて反論を覚悟して書くことにする。
このテーマ「恋愛」はシリーズでいきたいね。(私以外の人の登場を熱望する!) まず一読して私がため息をつくほど感銘を受けた作品はこれだ。読み終えてすぐ3回読み返したほどだ。短編集「水に眠る」の中の一つだがもっとも激しく胸を打たれた作品だ。
とにかく愛する方も愛される方も理性が情熱を押さえ込んでしまう。その純粋で誠実な思いがしみじみと伝わってきて切なくなってしまうのだ。さらに私は、二重構造のこの小説の巧みさに感心した。「死ぬまでにいつかは小説を書くぞ。芥川賞の最年長記録を作るぞ」と、毎夜ひそかに爪を研いでいる私だが、どうあがいてもてもこんな傑作は書けないと思った。
この作品に共鳴した人だけで酒を酌み交わしたい。と思うほど心惹かれる作品なのだ。
さあ、これだけ褒め讃えたのだから、誰かすぐに読んで反論でもなんでもいいから何か書いてくれ。

ペンネーム「詩遊児」さんからの紹介。(2007.07.18)

030

二階

松本清張
 短編集「カルネアデスの船板」の中の一篇である。結核で寝たきりの愛する夫のために、妻は付添看護婦を雇った。
夫は二階で療養し自分は階下で夫の代わりに印刷業を切り盛りしている。
だが付添看護婦が来た日から二階の雰囲気が微妙に変化した。妻の自分が、看護婦のいる二階に上がるのを遠慮してしまうような・・・。緊迫感にあふれる展開。
夫に対する愛と猜疑の心理描写。衝撃的な結末。しみじみとした余韻。これぞ上質の恋愛小説である。
やはり松本清張の力量はたいしたものだ。

ペンネーム「詩遊児」さんからの紹介。(2007.07.18)

031

リプレイ
(新潮文庫)

ケン・グリムウッド
 生まれ変わって人生をやり直すことができたら・・・そしてあの人ともう一度と巡り会いあの失敗を避けることができたら・・・。
多くの人間が一度は夢見る願望を描いたのだから、ワクワクするほど面白いのは当たり前だ。
だがこの小説は面白いだけにとどまらない。物語に込められた思想が実に深遠なのである。
刻一刻と近づく死は、すべての人間が生まれた瞬間から突き付けられている残酷な運命だ。
そこからの精神的な救済こそ宗教や哲学の存在理由だろう。
この作品のテーマは絶望する魂の救済である。そして娯楽性と哲学性が質の高いレベルで融合された作品であると感じた。
私は一気に読み終えて感銘し、後日再読してまた感動を深めた。私の生涯読書エンターテイメント部門のベスト3に入れたい。
こういう作品を書く人にこそノーベル文学賞をあげたいものだ。

ペンネーム「詩遊児」さんからの紹介。(2008.02.14)